リリース、リリース & リリース!

2018年が始まりました。

いろんなことを完了して、心機一転新しい一年を始めたいと思っていたのですが、なかなかそうはいかず、ぐずぐずとウニヒピリの見せてくれるあれこれに溺れるような気持ちで今日まできてしまいました。

でも、今日いま突然、少し新年な気持ちなのです。

カフェで仕事をしていたのですが、ちょっとトイレに入って、手を洗って、また席につこうとしたその数歩の間に、昨年から気にかかっていた一つのこと(ある友達がなんか会うたびにちょっといやな感じ的なことです)がまたもやっと頭をかすめたとき、

すぐさまクリーニングしたら、気持ちよくリリースできたのです。

道に植木が倒れていたから、何の躊躇もなくさっとまた立て直して、また進む。

そのくらいさっと自然にやってみたことがコツでした。

タイミングってとても大切。

あとでは働かないことってあるのかも。

私の判断マシーンのスイッチが隙を狙って入ってくる前に、

さっとクリーニングする。

すると、全く意味がわからないのだけれど、こころが晴れたのです。

久々に何の抵抗もなく、私という器にわたしのこころが収まっている心地よさがあります。

どんな小さなことでもクリーニングしないままにしていると、

いつの間にか、積もり積もって、光が見えなくなってしまう。

 

リリース、リリース & リリース。

もやっとすること、ぐさっとくること、

そこに理由をつけたり、ドラマに発展させる前にまずはクリーニングして、

リリースする練習を今日から始めたいです。

 

ありがとうございます。

新年のお参りをするように、一日一回は内なる家族と集いましょう。

形は決めなくてもいい、毎回雰囲気が変わってもいい、自由の場所だから。

簡単に流されてしまう自分でも、

戻る場所が、いつもどんなときも、あることを忘れないでいましょう。

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平和はわたしから始まる

I love you.

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アイリーン

 

最強ツール

日本にいる愛犬のさんびが年老いていく。

左目は白内障でもう見えない、

むかしあんなにツルツルしていた毛並みは今ではパサパサとしている。

日本から台湾に戻るたびに、もしこれが最後だったらどうしよう、そのパサついた毛並みを何度もさすって手のひらにその感触を絶対に覚えて置いてね、とお願いする。

大好きな祖母と会うたびにこわくなる。

日本に戻るたびに一緒に隣り合わせの布団で寝て、

夜中に祖母がトイレに起き上がるたびに足を悪くするのじゃないか、

そんなことにいつも寝ながらも意識が冴えている自分に気づく。

贈り物にと、娘に大きめの数年先の服が誰かから届くたびに

祖母はそれをみてかわいい、かわいいとほめてくれる。

でも、同時にそれを実際に着ている姿を祖母が見ることができるのかとふと思うだけで、

今すぐ、服を破り捨てて、全部なかったことにしたくなる。

いますぐ泣いて、誰かに助けてもらいたい。

もうこんな年なのに、親になったのに、しっかりしなくちゃいけないのに。

昔デパートで迷子になったとき、そのときこの世の終わりだといとも簡単に思えた自分がどれだけ恵まれていたのか、羨ましくてたまらない。

周りの大人がちゃっちゃといろいろなことをして、大丈夫だよと言って家族を連れて来てくれたみたいに、今出てきたこの怖い、走っても走っても焦るような思いをいますぐどこかにやって欲しい。

誰か助けてとまるっきりこどものように、そして切実に叫ぶ自分が内側にいる。

そしてクリーニングしてみる。

今いる部屋で、娘と犬と三人きり、泣きわめくこともできず、クリーニングするしかなくて、仕方がないからクリーニングする。

そうして、犬のいびきを聞きながら、娘の寝顔を眺めていると、老犬と言われる年齢になってしまった犬とまだ始まったばかりの若い命、そのどちらも何かを日々消耗し、そして新しく作り変えているということにただ、感覚の焦点が合うようになる。祖母と初めて私がこの人生で会った日から今日まで年老いたのは祖母だけではなく、この私だって同じで、でも、34年の間に祖母が、この犬がそして娘がどんどん私の人生に入っては育って、広がって、もうスーパーオリジナル作品としか言いようのない生き物が育っていることに素直に驚かずにはいられない。

昨日あったものは今は変化し、今あるものが明日にはない。

何かが変化し続けている。

いつも亡くなっているし、いつも何かが生まれている。

その不思議を、その奇跡を、その当たり前さと貴重さを、

その中を生きるように元々の私は創られていたんだと思い出す。

でもその方法や生き方を忘れているから今、クリーニングしている。

誰かを憎み、羨み、恐れる裏で、

こんな貴重で当たり前でわたしの命まるごとを描いているそんなことが起きている。

ダイナミックであまりにも自然なこんな流れを見せない、触れさせない、それが記憶なのだ。

だから、わたしはやはり今日も、どんなささいなことでも、ほんとうの私を見せようとしないその記憶をクリーニングして、

その流れの中にわたしもいるようにしよう。

クリーニングしていたら、

命が煌めく速さに追いつくことができないことへの嘆きは、そのまま、発見の喜びに変わった。

クリーニングしていたら、いつか訪れる別れへの悲しさは、自分の中に元々あった謙虚さに変わった。

何もなくなったわけじゃないのに、クリーニングして恐れを磨いていたら、

恐れていたことが、生きるために必要な道具になったりする。

クリーニングってすごいな、

ホ・オポノポノという最強ツールを持っている自分に少し信頼が増えた。

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アイリーン

追伸:

10月に行われたイベントに来てくださった皆様、コメントをいただいた皆様、

SITHアジアのFBで行った日めくりチャレンジに一緒に参加してくださった皆様、

いつもありがとうございます!お返事や投稿がなかなかできずに申し訳ありません。

そしてたくさんのクリーニングとメッセージ、本当にありがとうございます!

 

 

 

ぜんぶ声

さっき、台所のシンクで洗い物をしていた時、

いつものように色々なことが頭を通過して行った。

自分の最近の仕事への姿勢、

その中でどうやって子育てをして、

それがどんな影響を子供に与えているか、

仕事を言い訳にしていないか、

友人関係に雑なところがどれだけ出ているか、

家族を置いてけぼりにしていないか、

体全体がカチカチに痛い、

目がめちゃ疲れている、

サラサラと出てくることを出て来させ、

その中でただただクリーニングしていった。

 

 

 

その時、ほんの一瞬、

私は今この瞬間、記憶をクリーニングしながら、

するべきことを進めている、

本当に軽くて、重さのない、そのことが見えた。

なんの後ろめたさもない、

前方に光が見えるから、ただそこに向けて歩いて行けばいいだけのような

そんな身軽さと確かさを体全身で実感した。

 

 

 

実際に私がどうかではなく、

クリーニングさえし続ければ、

できる限り、この状態で生きていくことは可能なんだよ、

という声がまるで耳ではなく、実感として聞こえてくるような

形がないけど、全体のような存在そのものを感じた。

 

 

 

今日、私はそれを神聖なる存在の声、

と表したいところだけれど、

もしかしたらそうでないのかもしれない。

明日にはそう名づけたことを後悔しているかもしれない。

 

 

 

でも、

そんなことはどうだっていい。

記憶があるのは問題じゃない。

記憶をこうして見ながら、

進んでいける私だけの道があるし、

記憶からヒントを得て、

クリーニングすることで、

どんどん自分になっていくその醍醐味があるのかもしれない。

 

 

 

「問題は、記憶を持っていることではなくて、

記憶を再生させっぱなしの自分である」

とパトリシアさんというホ・オポノポノの講師が言っていたのを思い出す。

 

 

 

記憶を使って、クリーニングして、

ただただ生きていきたいなあと思う。

記憶をクリーニングしている最中、

時に、まるで何か大いなる存在からの声を聞いているような感覚になること「も」ある。

 

 

 

結果ばかり気にしてしまいがちだけれど、

たまにはこのことも思い出したいです。

 

 

 

10月、私がお話をさせていただくイベントの機会を作らせていただけるようです。

また、改めて告知いたします。

コメントもいつもありがとうございます。

また少しづつお返事させてください。

ありがとうございます。

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アイリーン

ソウルの朝、バスの中

韓国でクラスがあり、母と週末一緒に過ごした。

その前の週に台湾でもクラスがあって、母はそこにも来ていたので、約二週間、久しぶりに毎日をともに過ごした。

日本で会うときもお互い仕事をしていて、ちゃんと話すのは仕事終わりか週末ちょこっと。

同じ場所で寝泊まりして、台湾ではわたしの夫と娘も一緒で、距離感がぐっと近い時間がこれだけあったのはほんとうに久しぶり。

たくさん喧嘩した。

うちの喧嘩は本気の喧嘩。

徹底的に心が揺れ動かされ、傷つけ、傷つき、容赦無くどんどん言って、ちょっともうお互いギブアップ、の手前でようやくクリーニングを思い出して、ちょっとクリーニング休憩を持つ。

その間になんか他の楽しいことが割り込んで来てくれるか、ちょっと苦いけど、まあ家族だからその重さと一緒にでもいられるくらいの愛はある。

 

これだけお互い、ホ・オポノポノのそばにいる身なのに、進歩したのは、クリーニング休憩が最後の最後であるということくらい。

親子だからしょうがないと思ってがんがんしてきた喧嘩のあとで自分の気持ちをケアすることくらい。  

帰りは別々の飛行機で、当分出張が続く母と次に会える予定は未定。
 わたしの方が先の飛行機で、朝早く、ホテルの前から出発するインチョン空港に向かうリムジンバスの見送りに母は来てくれた。

ちょっとハグして、またね、気をつけてね、早く部屋に戻ってちょっとでも寝なよ、と言ったので、母はバスが出発する前に、またホテルに戻って行った。

私はバスの窓からその背中を見送りながら、しばらくじっとしていた。リラックスしながら、でも流れ始めた色んな気持ちをただサラサラとクリーニングしていくことにした。

 

やっぱり寂しいこと、

ありがとう、

楽しかったな、

でも正直しんどかったな、

たくさん傷ついた、

許せないこともある、

でも母が愛しくてたまらない、

幸せを願わずにはいられない、

もっと優しくしてあげればよかった、

もっと労ったらよかった、

涙もちょっと出てくる、

もっと話すときはこころをこめて携帯なんて置いておけばよかった、

あれもこれもかけがえのないことだった、

クラスで会った参加者の方々、アシスタントのみなさんとも会えたこと幸せだった、もっともっと大切に時間を過ごせばよかった、

会っている間は会っていることだけを思ってあれこれと他のことはあとで考えたりすればよかった。

どうしたって別のことを考えたりやったりしてしまう自分がうんと残念な人に思えた。

いつまた会えるか、いつまたあんな風に一緒に居られるか、わからないのに。

じつは本当に尊い時間なのに。

憎くても、疲れてても、今は今しかないのに。

そんなことを思い出してクリーニング、

後悔もクリーニング、

好きの気持ちが出て来て、

でも感情が溢れてくると、ジェットコースターが落ちていくときのふわっとした感じになってきて心地悪いから、また携帯を手にして、帰りの飛行機の時間を確認してみたり、カバンの中身の確認したりしてみようという気になるんだけれど、それは今は一旦しないで、ただクリーニングすることにした。

心地悪いから、

ばかばかしいと思ったり、

苦しいから、

忙しくしてみたり、

それもすべて今はバスの中でクリーニングしてみよう。

母が戻って行ったホテルの玄関のところにある水が流れるオブジェがどう見ても洗濯板にしか見えない、すでに硬いホテルのベッドが懐かしい、今すぐ戻って母の寝息を聞きながらうたた寝したい、

 

バスが出発して見えてくるまだ車の少ない早朝のソウル、自分が住んで居ないから、いろいろなことが目新しく、楽しそうで、ちょっとそこに暮らす人々を羨ましいような特別に思う気持ち、

これから戻る台北でのわたしの家族との暮らしがちょっと重苦しく、かったるく、でもなにがなんでも早く取り戻したい、早く会ってただただくっついていたい、そんなめちゃくちゃな気持ち、

クリーニングしていくと、さらさらさらさら、心地悪いものも感傷的なものも、とにかく色んな気持ちが流れていく、それがなんなのか、なんの意味があるのか、わからないけれど、クリーニングしていくと、ふと、全てが美しくて寂しくて、ありがたい。

私とウニヒピリでぎゅっと抱き合っていないと、抱き合っていたいよ、とどうしようもなく思って、目には見えないから、だからクリーニングを通して自分のウニヒピリに優しくあろうと思う瞬間が訪れる。

 

私の本当の想いは母にはなかなか伝わらない。なんで母があんなこと言ったりするのかもわからない。記憶が本当にたくさんで本当に何が起きているのかはわからないのだから当然だ。だからこそ、この限られた時間の中で、できるだけクリーニングして、記憶から本当の自分を、今を、私たちがここに生きる知恵を掘り起こし、愛する人に伝えられますように。愛する人たちの本当の声が聞こえる自分でありますように。

今までここに書いたこと、あまりにも取り止めがなさすぎて、気持ちがだらだらで、当分読み返したくない。

 

でも、もし読み返す時がきたとしたら、その時は、また、今バスの椅子に座っている自分のように、ただそのときのことを自然と表面に浮かんでくる気持ちをさらさらと力を抜いてクリーニングしたい。
強い気持ちも、小さなささやかなことも、選ばないでクリーニングするこの時間は、決して心地良いだけではないけれど、ひょこんと無力な自分が何か大きな偉大なものから触れられている、そんな気がするのです。


ありがとうございます。
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アイリーン

夢の話

結婚してから、義理の父を始め新しい家族にあまり気持ちのよくない感情を持ち続けていた。

苦手、会うと疲れる、苛立つ。クリーニングしてもクリーニングしても、そんなモヤモヤする気持ちをより一層、まるで やっぱりそうだそうだ!と正当化してくれるような出来事も実際に続いた。

 

さすが、結婚はクリーニングをするためにする、とヒューレン博士が言っていただけあるなあ、というような自分にとって傷つくこと、いやなことが義理の家族を通してなんどもなんども私自身の元に現れた。

クリーニングしてもしても、嫌な気持ちは無くならないのでさすがに疲れてきたし、何か間違っているのかな?と思考のループに何度も陥った。それでも、家族になってしまったんだから、逃げるわけにもいかないので、そして他になにをしたらいいかもわからないので、今までとにかくクリーニングを続けてきた。

 

先週末、夢を見た。

オーストラリアにいて、義理の両親、義理妹夫婦、夫と私がレストランのテラス席でお茶をしながら何かを話していた。そして父が突然、ある重大発表をして、家族みんな驚きつつ喜んでいた。

 

そこで私は怒りが爆発した。義父の発表内容が私がずっと恐れてきたことだったのだ。夢の中で私はとても率直で、さらに感情的で、涙をためながら、「そんなことはして欲しくない!」と一生懸命訴えていた。そんな私の滅茶苦茶な厳しい対応に義理兄弟は怒って席を外し、義理の母もショックで口がきけず、父は厳しい顔でただ聞いてくれていた。夫は隣でとにかくそこに一緒にいようと努めているのが精一杯というのがひしひしと感じた。夢の中だけれど、ものすごく感情的に率直に普段なら言えないことを言っている私に、夢を見ている私がドキドキするほどだった。

 

でも、その中でも一番驚いたのは、どんどん感情的になっていく一方で、私の中で父や妹、新しく家族になった彼らの誰一人に対しても、嫌いだという感情が、たったの一度も湧いてこなかったということだった。見ていて、あちゃちゃ~というくらい、怒ったりしているのだけれど、だからと言って、たったの一度も、相手に対しての嫌悪感が湧いてこなかった。

 

そして夢から醒めた時には、とてもスッキリとしていた。

突如、みんなが大好き!ハッピー!早く会いたい!となったわけでは決してないけれど、疑念が晴れたような、そんなすっきりとした気持ちに満ちていた自分に驚かされた。

 

ホ・オポノポノを始めてから以前にも増して夢を見るようになった。夢の中ではいつも、自分の隠しきれない気持ちがありありとストーリー仕立てで展開されたり、夢は私にとって、ウニヒピリが見せてくれている深い記憶の湖のような場所だ。

 

いつも会うたびに疲れたり、嫌な気持ちになるから、本当に嫌いなんだと思っていた。新しい家族を嫌いってとても悲しいなとさえ思っていた。だからこそ、夢の中で、私が日頃なかなかスッキリと心を開くことができない相手に、夢の中でも早速怒ったり色々しちゃっているのだけれど、それでも相手を憎しんだり、嫌な気持ちにさせてやろうといういじわるな気持ちは一滴も出てこなかったのは、大きな救いのような、希望そのものだった。

 

ああ、クリーニングされている、正しい方向にちゃんといる。

 

クリーニングして、このかた私が気づいていないだけかもしれないけれど、大きな変化のなかった義理家族との間で、クリーニングされるべきことはクリーニングされ、私らしく、この人生の中で新しいこの家族と進んでいるのかもしれない。とはっきりと感じた。

 

クリーニングをしなければ、記憶が指し示した感情が私である、と本当の自分をいつまでも生きることはなかなか難しい。記憶こそが私で、記憶こそが私と相手の関係を指し示す絶対のジョウギなのだと、ついつい勘違いし、その中をぐるぐるとさまよってしまいがち。

 

それでも、クリーニングしていれば、こうして夢の中で、現れる感情は記憶で、私と相手はそれぞれ限りなくゼロに戻っていけるかもよ、本来のつながりがあるかもよ、というメッセージ、そしてそちらの方が、記憶が今までもっともらしく見せてくれた現実よりもはるかの現実的だと、急に時差ボケからさめたような気持ちにさせてくれることもあるんだ。

 

無理やり決めつけた愛や尊敬よりも、今、私が義父に感じている深い絆、尊敬の種、妹にふとした時にわく愛おしい気持ちは、私を限りなく自由にさせてくれる。

 

相変わらず、びっくり仰天なこと、むかっとスイッチはあるけれど、あの夢以来、新しい道がより一層はっきりと、そして、なんだか実際に、私への風当たりがだいぶだいぶマイルドになっている気がする!

Thank you.

I love you.

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アイリーン

陣地をとられた!

台湾最南端の墾丁(カンティン)という海辺の美しい街に夫と娘と週末に遊びにいったときのこと。

若者に人気のほうのビーチはドリンクバーのスタンドが並び、楽しそうだったけれど、久しぶりにとにかく静かに海の音を聞いて一日中ビーチでゆっくりしたかったわたしたちは、岩場と砂浜が入り混じったワイルドめなほうのビーチに行った。

予想していた通り、こちら側の海は人も少なく、なんのサービスもないけれど、砂浜に沿って群生している木々がちょうどよく木陰をつくり、水遊びに疲れた私たちがお昼寝するのに丁度良いパラソルの代わりとなってくれた。

翌朝同じビーチに行くとまたお気に入りのスポットが空いていた。ラッキー!一日をまたここで過ごそうとワクワクとシートを敷いた。

だんだん日差しが強くなり、お昼にしようと、その日は娘を抱っこして、大通りまで行き簡単にご飯を済ませ、よし、戻ってまたお昼寝をしよう!と意気揚々とお気に入りのビーチに歩いて帰る。すると、私たちのシートが見当たらない。遠くからでもはっきりわかるほどの派手な大きな布が見当たらない。その代わりに二十人くらいの若者グループがガンガンに音楽を鳴らし、大きなテントを張っている。とりあえずそこまで行ってみてみると、その派手な柄の私のシートは、彼らのテントの後ろで、砂まみれになって隠れていた。

ものすごく、ものすごく、とてもとてもムカついた。

もともと喧嘩っ早い私の性格を知っている夫は、先回りして、やんわりと彼らに私たちのシートの上に侵入しているダンボールをどけるように伝え、私にあっちの方にも木陰があるから移動しようと、したくを始めている。娘は大音量の音楽に体を乗せてダンスまでしちゃっている。私はものすごく腹を立てていた。クリーニングなんて、もう全く忘れて、ただただその失礼さ、無神経さ、理不尽さを頭の中であげつらい、どれだけこれが悪いことか、まるでいつでも誰かに説明できるように、とにかく怒っていた。さっさと他の場所に移動してしまった夫と娘を追う前に、相手に伝わるように彼らを睨んで行くことも忘れなかった。

次の場所は、岩が影を作ってくれていた。娘が夢中になっていた蟹がたくさんいる岩にも近くて、とても居心地が良い場所のはずだけれど、まだまだ私の中のマグマは沸騰中だ。理不尽で、悔しくて、次から次へと怒りストーリーが展開して行く。夫と娘は切り替えて、というかもともと何事もなかったかのように楽しみ初めている。そんな彼らの様子にさえ腹が立った。なんで平気なの?あそこは私たちのお気に入りの場所じゃなかったの?誰とも共有することができない消化不良な苛立ちで海も風も何ももう感じない。なんだか意味もわからず、ふてくされて、孤独で、なんだかもう苦しい。帰りたい。どこか私を怒らせない、静かなところに帰りたい。

そう思ったところで、ふと内側でクリーニングが始まった。どうすることもできないからそうしたのか、何か自分で気づいたから始めたのか、とにかく、この怒りを自分でクリーニングしようとクリーニングを始めた。

みんなの海なのに。

ちゃんと早くきて、陣地を取ったのに。

娘と夫とのんびりとしたかっただけなのに。

クリーニングしても、次から次に、私の中にいろんな説明、言い訳、声が次から次に出てくる。でもそれをクリーニングして行く。せっかくみんなで海に来ているのに、自分だけが楽しめないことへの恥ずかしさみたいなものも出てくる。それもクリーニングして行く。こうしている間に、もう旅行の残り時間はどんどん過ぎて行くことに焦る自分を感じる。それをクリーニングする。

「見せてくれてありがとう」

「愛しているよ、愛しているよ」

痛い心にアイスブルーと心の中でいい続けていた。

こんなちっぽけな自分を誰にも見られたくなくて、横になって寝たふりをしながら、とにかく、溢れる想いをクリーニングし続ける。こんなことでキレて、ただ楽しそうに遊んでいる若者を睨んだりして、恥ずかしい、という気持ちをクリーニング、その一方で、マナーが悪い人がいる世の中を呪うような重たい気持ちをクリーニング。

続けているうちに、ふと涙がこぼれた。寂しかった。なんだか、世の中とうまくバランスを取れない寂しい記憶、調和を持てない自分を愛せず、恥ずかしむ記憶、今日を楽しみにいろんなことを我慢して来たこと、それを台無しにされたこと、いや台無しにしているのが自分だという深い後悔。

怒りという重いふたが少し軽くなったら、その下から見えて来たのは、怒りではなく、寂しさと恐れだった。うまく人とやりあえない、みんなが盛り上がっているのに一人だけ冷めちゃって楽しいことをたくさん逃してきおたことへの後悔みたいなもの、なんでもすぐに怒ってしまう小さな自分がもう恥ずかしいからと、忘れようとした数々の気持ちが緩やかに流れてくるのをただただ見てクリーニングしていく。

だんだんと波の音が聞こえて来た。日差しがサンセットに向かいだんだんと優しく、空の色も青が濃くなって来ているのが目に入る。涙を拭いて、夫たちを探すと、水しぶきをあげながら蟹を追いかけ回している。

沸騰していた頭よりも、中心がお腹あたりに戻ってきて、不思議ともう心が荒れていないことに安心する。家に戻って来た。そう実感する。怒りという嵐に飛ばされない、安心の家がなんとか保たれた。

怒りに圧倒され、長いこと水分を取っていなかったことに気づく。お水を飲んで、ふと目を若者たちがいたテントの方に移すと、みんなでジェスチャーゲームを始めていた。冷たそうに見えた若者たちはもしかしたら初対面同士の人もいたのかもしれない。ジェスチャーゲームに夢中になってみんな心からの笑顔でとても楽しそう。気のせいか、爆音でかかっていたと思っていた音楽は波の音に消えてしまうくらいのちょうど良い音量だった。

自由な自分をかんじる、それが喜び以外の何ものでもないことに気づく。

私が欲しかったのは、自然以外のなにもない無音のビーチでも、お気に入りのスポットが私の陣地として確保され続けることでもなく、まるで目の前の波のように無限にリズムや形を次から次に変化させ、調和をもって、生きている自分。

自分が思い描いた今日一日を思いっきり超えて、そこに緩やかに、そしてワクワクといる自分。そんな自分を一瞬思い浮かべ、とても幸せな気持ちになった。

想像を超える平和、はいつだって私の頭では全然追いつかないところで起こる、そのことを強く思う。

さあ、今を楽しもう。頭が追いつかないように、クリーニングしながら、今目の前にあることを楽しもう。娘と夫はいつの間にか、海の中で泳ぎ始めていた。わたしも恐る恐る日焼けした肌を水につけてみる。ひんやりとした水が心地よく、どんどん泳ぐ、ブイのある辺りまで泳いで初めてビーチを見返すと、それぞれの人が、犬が、シートもテントも、ビーチボールも、全てが夕陽に照らされて、優しく輝いて見える。もう一度クリーニングする。このビーチのどこにも、誰にも、私の記憶を残して行ききたくなかった。私が自由であるために。

またビーチの方に戻って、娘と砂遊びを楽しむ。もう心が溺れてはいない。二人で波が来て消されてしまう前に砂の上に夢中でいろんなものを描く。

「ごめんなさい」

ふと、後ろから声をかけられる。

振り返って見るとそこには数人の若者がテントの方からやって来ていた。

「全然帰ってこないからいいかなと思って、あんな風に邪魔しちゃってごめんなさい」

タトゥーだらけのその男女たちはとても優しい目をしていた。申し訳なさそうにしゃがんでいる彼らに、心から「ありがとう」と言うことができた。「とても楽しみにしていた旅行だったから期待が大きすぎて、すごい怒っちゃって」とわたしが言うと、「娘さん、とても可愛いですね」と言って彼らは娘と遊び始めた。

ちょうどその頃、夫がビールをどこかから入手して戻ってきた。

もうマックスに真っ赤に照らされたビーチには、大好きなビールと家族とさっきまで敵だった者同士がそれぞれのことを自然にしながら、大きな海にありがとうといっているような優しい気持ちで、ただただ、自由に調和しているような気がした。

 

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ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

先日、コメントで、「毎瞬、毎瞬クリーニングするにはどうしたらいいですか?」というメッセージがありました。

私はこの通り、日々のほとんどをクリーニングを忘れ、怒り、嘆き、笑ったり、落ち込んだり、ドラマクイーンを生きています。でも、毎回とはいかなくても、時にこうして、ふとクリーニングを思い出し、実践して行くと、頭で捉えている現実がシフトして、本当に内なる自分が手放したかった傷だったり、何か自分の人生でブロックとなっている記憶をクリーニングするチャンスを与えられます。

本当に苦しい時、クリーニングすると、人生の宝物と出会う瞬間があります。

怒っているとき、それが最もだという確信が強ければ強いほど、そこをクリーニングしていくと、自分の持っている、もう固いを通り超して、わたしの骨なんじゃないかというようなものがゆっくりと剥がされ、何か元の自分に戻れる、そんな不思議な感覚がときにあらわれます。実際の問題がどう変化するか、それが好転するしないに関わらず、わたしにはその自分の内側に起きる感覚のようなものが大きな鍵であるとしか思えません。

同時に、それを期待せず、ただただ、また思い出したその瞬間に、純粋な気持ちでクリーニングできるようでありたいです。私の場合、ヨガでもホ・オポノポノでもそうですが、これがいい!と思ったとき、よし毎日続けるぞ、と意気込んでいる時、その瞬間はヨガもクリーニングもしていないことがほとんどです。そういうとき、

何か自分でないものを見て、今この瞬間ではなく、ほかの何かを期待している、記憶を生きている瞬間、にすり替わっていると感じます。だから、思い出したらクリーニング。ただそれだけを、ウニヒピリは見ているのだと思います。

一歳半の娘に「後でね」が通用しないように、あとでではなく思い出したときに「今この瞬間はクリーニング」をしたいと、こころがけています。

 

ありがとうございます。

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アイリーン