作成者別アーカイブ: 平良アイリーン( Irene Taira )

平良アイリーン( Irene Taira ) について

Aloha! 日々のクリーニングの体験や思ったことを書いています。 ありがとうございます。 POI アイリーン

丸の内

二十代前半、就職先が決まったものの、なんだか不安定で、ただ刺激的な日々に追いつけ追い越せで、当時の恋愛もまるで自分に嘘をつかないとやってられないかんじで、愛する家族にそんなみすぼらしい自分を見せたくなくて、余計仕事を忙しく、夜はお酒を浴びるように飲むというような一時期がわたしにもありました。

就職先は飲食店企画経営の会社で、わたしはそこのPRの見習いだった。携わっていた企画が丸の内開発の新事業の内の一つだったこともあり、わたしは大学卒業間近の日々のほとんどを丸の内で過ごした。

日中、社長について店舗回りをしたことや、とある銀行の本店に出入りした日々は、なんだか遠い昔のようだけれども、スーツを着た人たちが、顔色を一切変えず、とても友好的な表情と口調で優しく、でもどんな人に会っても、名刺の上のわたしの名前を読むよりも先に、わたしが身につけている時計と靴を流れるような動作でチェックしていたこと、あの独特の乾いた空気はちっとも嫌ではなかったけれど、とても印象的だった。

日中出会うのは、ほぼドメスティックな会社の偉い方々で、反対に夜は、会社が企画するイベントで出会う、刺激的な経営者やデザイナーの方々だった。たまに丸の内族と呼ばれる人が来ると、ちょっと対応を変えたり、わたしなりに社長や先輩から学んで、色や匂いを嗅ぎ分けたピエロのように、エネルギーを全力投球したあの日々は、今こうして台北でのほほんとほぼビーサンしか履かないようなうだるような暑い空気の中での生活から思い出すとただただ貴重なものでしかない。

そして、同時に冷静に思い出す。当時のわたしの痛ましいほどの動揺。さっさとこんなところから抜け出して、おばあちゃんが作った大根が入ったカレーが食べたいし、母のわけのわからないセレクトの決して超清潔とは言い難い家でテレビが観たい。その職場で出会った彼に全くもって意思疎通とれていないのに、すごく彼を理解しているし、救えると傲慢にも思っていた日々。すばらしい社長が期待してくれている自分にミリ単位で違わない自分でいようと常に神経をいつのまにか研ぎ澄ましていた、幼いわたしを思い出す。

台北は普段なら五月頃から雨季が始まるのだけれど、今年は中々雨が降らなくて、昨日夕方近くスコールが降った。

そこで、また丸の内のある夜のことを思い出した。その夜、例の如く、イベントが終わってもなかなか興奮が冷めず、別のお店でお酒を飲んでいた。飲めば飲むほど酔っていき、悪酔いというやつですね。あらゆることが感情的にしか見えてこない。そして、ちょうど先週出会ったばかりのヒューレン博士のことを思い出す。自分を大切にしろだとか、内なる子供の声を聞けだとか。もうそうゆうのはどうでもよかった。母にも、そんなことよりも先にやっと余裕ができたなら、今までできなかった母娘っぽいいろんなこと一緒にして欲しかった。セミナーとか人生の問題とか、大人になっても昔の過去を苦しむとか、そんなのもう見ていられない。息ができない。それに比べたら、たくさんの大人たちが綺麗なスーツを着て、立派な名刺がたくさん集まるこの丸の内で、夜中に仲間とお酒を飲んでる方が、少しはマシに思えるのではないか、そんなことを頭で考えているうちに、元彼を含む仲間が次のお店に行こうと持ちかけた。もちろん、私も。このふらふらな私がまともだと思える場所以外に行く場所がないのだから、ついて行こうと、丸の内仲通りにタクシーを拾いに出たとき、また、ヒューレン博士と呼ばれるおじいさんのことを思い出した。

その人は私に、こんなことを言った。

You’re perfect.

二日酔いで、頭の中は、怒りとか不満しかないわたしに、「あなたはパーフェクトだよ」と言うその人の目は、まるで、木を静かに映し出しているように冷静だった。

何故だかタクシーに乗り込む手前で、その静かな目を思い出し、ポンと弾かれるように、ごめん、忘れ物したから帰ると言って、丸の内仲通りを当時毎日履いていたヒールの靴でカツカツ歩きだした。

ホ・オポノポノのことを考えていたわけじゃないけれど、痛い足とともに、ただこれまで 蓋をしてきた、不安な気持ちと一緒にただ歩いていた。

お酒を飲みすぎて、気持ち悪くて、ちょっとうずくまりたくなって綺麗なお店の陰に隠れたと同時に、大雨が降り始めた。

今はどうか知らないけれど、当時の仲通りは11時を過ぎたらほとんど人通りはなく、ほんとーに静か。

酔っ払って呆然と、ゴミひとつ落ちていない綺麗な道に、雨がはねつけられるところ見ながら、どんどん自分の感情と身体が別々になっていき、毎日足先がこんなに痛いのって悲しいなとか、夜中に酔っ払ってる娘を見たら両親は泣くな、いや、何故こんなに気持ち悪いのに先に親のことを考えてるんだ!とか、思いながら、覚えたての四つの言葉を酔っ払いリズムで唱えていたら、となりに若い綺麗なスーツ姿の男性が立っていて、「大丈夫ですか?タクシーこの辺捕まりますから」と言って自分の傘を私にくれ、本人は大雨の中、颯爽と歩いて消えて行った。

その人のいやらしさも裁きもないきれいな優しさはコップ一杯の美味しいお水のように、酔った私の意識を急激に冷ましてくれた。

その人のことと、その晩のきれいな雨の丸の内仲通りは、たまに私の今の生活の中で、ふと思い出されることがある。

台北での生活の中で、誰かにふと手を差し伸べたいとき、あらゆる記憶を出来るだけ削ぎ落としていたい、とあの晩の若き丸の内サラリーマンの彼を思うたびに思うし、あの晩、私がほんの少しだけでも、まずは自分を貴重なものとして扱った瞬間から、始まったあらゆる流れ、人も天気さえもが、とても印象的に心にふと現れることがある。

ありがとうございます。

POI

アイリーン

記憶翻訳

娘と一緒に乗り込んだエレベーターの中で、

優しそうなご婦人が、

娘に優しく声をかける。

 

 

「何歳?お名前は?」

 

 

娘は声の方に顔を向けて、

そのままちょっとおしりをふりふりさせて、

ご婦人の問いかけに答えになるようなことは何も言わず、

不思議な言葉を発したり、エレベーターのボタンをじっと見つめたりしている。

 

 

わたしは、すぐさま、誰に言うでもなく、

でもはっきりとエレベーターの中にいる皆に聞こえるように、

娘のほうを見て、

 

「 恥ずかしいんだねー 」

 

と言ったあとに、

娘の名前と年齢を慌ててご婦人に伝える。

 

 

ご婦人はもとのにこやかな顔で、エレベーターを降りて行く。

娘と二人きりになったエレベーターの中で、

変わらず、マイペースにその場にすっといる娘を見つめながら、私は気づく。

 

 

私はこういうことをして、何を一体失っているんだろう。

こういうこと、というのは、

まだそんなに言葉を喋らない娘と誰かとの間で起きるあれこれに対して、

とっさに私がやる翻訳の仕事だ。

 

 

「恥ずかしいんだねー」

「まだ眠いんだねー」

「お腹すいてるんだねー」

 

 

と、私に慌てて言わすのは、

私の記憶が操作する、娘翻訳機能。

この翻訳機能が作動する度、

私は自然な流れをとめ、

何か繊細で綺麗な何かを見失ってしまっているような気がする。

 

 

娘がまだ未熟な言葉を使って、

初めて出会う人とコミュニケーションを取れないことを決して恥じたことはない。

娘に興味を持ってくださる方には喜んで私も会話をしたい。

親として、娘が悪気があろうとなかろうと、他者を傷つけてしまうことを

防いだり、直したりするのは当たり前だと思っている。

 

 

でも、私が「だから」と思ってやってしまう、

そんな翻訳機能は、

本能的なものではなく、もっともっと、不自然で、個人的な私の記憶なのだとわかる。

 

 

なぜなら、ちくっと心が苦しくなるのは、

実際娘が何を思っているのかわからないことに対して、

慌てて取り繕おうとすることの奥にある、

私の記憶を感じているからだった。

 

 

誤解されたくない

(  何を? )

悪気はないんだってわかっていてもらいたい

(  なんの罪悪感?  )

短時間であろうとちゃんと丁寧でいたい

(  なぜそんなに完璧主義でいたいの?  )

 

 

 

記憶に気づいてクリーニングを始めると、

自分の中にある、果てしない孤独や恐れが見えてくる。

 

 

娘の行動言動の本当の意味は私にはわからない、

それと同じく、

私の中で一体どんなことが起きているのか本当にはわからない。

 

 

だから、クリーニングするしかない。

私は私の仕事をするしかないんだな、

とあきらめではなく、

粛々とした気持ちで改めて気づく。

 

 

私がまだ小さな子供だった時以来、

初めて、こんなに毎日毎日、朝から晩まで、

自分ではない誰かと一緒に時をともにしている。

 

 

その誰かを、私がウニヒピリをコントロールするようにはできず、

こんな時にはこう言うんだと強制できない相手だ。

それは私の2歳の娘で、

この人と一緒にいると、

私はどれだけ日常で、自分自身の内なるこどもの声をうまく操り、

蓋をして、ないことにしているのか

よおくわかってくる。

 

 

娘と過ごしたこの2年間

今までまるで暴力のようにして、

無視してきた、内なる声がどんどん蓋の隙間から響いてくるようになった。

 

 

聞こえてくるんだから、

クリーニングしよう。

私の記憶が今まで見せ続けた、不安定で信頼のできない世の中では

蓋することが当たり前になりすぎて、気づくこともなかった。

もっと、自然な流れがある、

そこにいられる自分が本来はいる。

 

 

まずは、せっかく気づいた、違和感、声、何かをクリーニングしよう。

すると記憶が私の前に現れる世界を翻訳するよりも早く、

もっと神聖で貴重な新しい真実が現れるようになることを、

もう私は気づき始めている。

 

 

POI
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リリース、リリース & リリース!

2018年が始まりました。

いろんなことを完了して、心機一転新しい一年を始めたいと思っていたのですが、なかなかそうはいかず、ぐずぐずとウニヒピリの見せてくれるあれこれに溺れるような気持ちで今日まできてしまいました。

でも、今日いま突然、少し新年な気持ちなのです。

カフェで仕事をしていたのですが、ちょっとトイレに入って、手を洗って、また席につこうとしたその数歩の間に、昨年から気にかかっていた一つのこと(ある友達がなんか会うたびにちょっといやな感じ的なことです)がまたもやっと頭をかすめたとき、

すぐさまクリーニングしたら、気持ちよくリリースできたのです。

道に植木が倒れていたから、何の躊躇もなくさっとまた立て直して、また進む。

そのくらいさっと自然にやってみたことがコツでした。

タイミングってとても大切。

あとでは働かないことってあるのかも。

私の判断マシーンのスイッチが隙を狙って入ってくる前に、

さっとクリーニングする。

すると、全く意味がわからないのだけれど、こころが晴れたのです。

久々に何の抵抗もなく、私という器にわたしのこころが収まっている心地よさがあります。

どんな小さなことでもクリーニングしないままにしていると、

いつの間にか、積もり積もって、光が見えなくなってしまう。

 

リリース、リリース & リリース。

もやっとすること、ぐさっとくること、

そこに理由をつけたり、ドラマに発展させる前にまずはクリーニングして、

リリースする練習を今日から始めたいです。

 

ありがとうございます。

新年のお参りをするように、一日一回は内なる家族と集いましょう。

形は決めなくてもいい、毎回雰囲気が変わってもいい、自由の場所だから。

簡単に流されてしまう自分でも、

戻る場所が、いつもどんなときも、あることを忘れないでいましょう。

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平和はわたしから始まる

I love you.

POI

アイリーン

 

最強ツール

日本にいる愛犬のさんびが年老いていく。

左目は白内障でもう見えない、

むかしあんなにツルツルしていた毛並みは今ではパサパサとしている。

日本から台湾に戻るたびに、もしこれが最後だったらどうしよう、そのパサついた毛並みを何度もさすって手のひらにその感触を絶対に覚えて置いてね、とお願いする。

大好きな祖母と会うたびにこわくなる。

日本に戻るたびに一緒に隣り合わせの布団で寝て、

夜中に祖母がトイレに起き上がるたびに足を悪くするのじゃないか、

そんなことにいつも寝ながらも意識が冴えている自分に気づく。

贈り物にと、娘に大きめの数年先の服が誰かから届くたびに

祖母はそれをみてかわいい、かわいいとほめてくれる。

でも、同時にそれを実際に着ている姿を祖母が見ることができるのかとふと思うだけで、

今すぐ、服を破り捨てて、全部なかったことにしたくなる。

いますぐ泣いて、誰かに助けてもらいたい。

もうこんな年なのに、親になったのに、しっかりしなくちゃいけないのに。

昔デパートで迷子になったとき、そのときこの世の終わりだといとも簡単に思えた自分がどれだけ恵まれていたのか、羨ましくてたまらない。

周りの大人がちゃっちゃといろいろなことをして、大丈夫だよと言って家族を連れて来てくれたみたいに、今出てきたこの怖い、走っても走っても焦るような思いをいますぐどこかにやって欲しい。

誰か助けてとまるっきりこどものように、そして切実に叫ぶ自分が内側にいる。

そしてクリーニングしてみる。

今いる部屋で、娘と犬と三人きり、泣きわめくこともできず、クリーニングするしかなくて、仕方がないからクリーニングする。

そうして、犬のいびきを聞きながら、娘の寝顔を眺めていると、老犬と言われる年齢になってしまった犬とまだ始まったばかりの若い命、そのどちらも何かを日々消耗し、そして新しく作り変えているということにただ、感覚の焦点が合うようになる。祖母と初めて私がこの人生で会った日から今日まで年老いたのは祖母だけではなく、この私だって同じで、でも、34年の間に祖母が、この犬がそして娘がどんどん私の人生に入っては育って、広がって、もうスーパーオリジナル作品としか言いようのない生き物が育っていることに素直に驚かずにはいられない。

昨日あったものは今は変化し、今あるものが明日にはない。

何かが変化し続けている。

いつも亡くなっているし、いつも何かが生まれている。

その不思議を、その奇跡を、その当たり前さと貴重さを、

その中を生きるように元々の私は創られていたんだと思い出す。

でもその方法や生き方を忘れているから今、クリーニングしている。

誰かを憎み、羨み、恐れる裏で、

こんな貴重で当たり前でわたしの命まるごとを描いているそんなことが起きている。

ダイナミックであまりにも自然なこんな流れを見せない、触れさせない、それが記憶なのだ。

だから、わたしはやはり今日も、どんなささいなことでも、ほんとうの私を見せようとしないその記憶をクリーニングして、

その流れの中にわたしもいるようにしよう。

クリーニングしていたら、

命が煌めく速さに追いつくことができないことへの嘆きは、そのまま、発見の喜びに変わった。

クリーニングしていたら、いつか訪れる別れへの悲しさは、自分の中に元々あった謙虚さに変わった。

何もなくなったわけじゃないのに、クリーニングして恐れを磨いていたら、

恐れていたことが、生きるために必要な道具になったりする。

クリーニングってすごいな、

ホ・オポノポノという最強ツールを持っている自分に少し信頼が増えた。

POI
アイリーン

追伸:

10月に行われたイベントに来てくださった皆様、コメントをいただいた皆様、

SITHアジアのFBで行った日めくりチャレンジに一緒に参加してくださった皆様、

いつもありがとうございます!お返事や投稿がなかなかできずに申し訳ありません。

そしてたくさんのクリーニングとメッセージ、本当にありがとうございます!

 

 

 

ぜんぶ声

さっき、台所のシンクで洗い物をしていた時、

いつものように色々なことが頭を通過して行った。

自分の最近の仕事への姿勢、

その中でどうやって子育てをして、

それがどんな影響を子供に与えているか、

仕事を言い訳にしていないか、

友人関係に雑なところがどれだけ出ているか、

家族を置いてけぼりにしていないか、

体全体がカチカチに痛い、

目がめちゃ疲れている、

サラサラと出てくることを出て来させ、

その中でただただクリーニングしていった。

 

 

 

その時、ほんの一瞬、

私は今この瞬間、記憶をクリーニングしながら、

するべきことを進めている、

本当に軽くて、重さのない、そのことが見えた。

なんの後ろめたさもない、

前方に光が見えるから、ただそこに向けて歩いて行けばいいだけのような

そんな身軽さと確かさを体全身で実感した。

 

 

 

実際に私がどうかではなく、

クリーニングさえし続ければ、

できる限り、この状態で生きていくことは可能なんだよ、

という声がまるで耳ではなく、実感として聞こえてくるような

形がないけど、全体のような存在そのものを感じた。

 

 

 

今日、私はそれを神聖なる存在の声、

と表したいところだけれど、

もしかしたらそうでないのかもしれない。

明日にはそう名づけたことを後悔しているかもしれない。

 

 

 

でも、

そんなことはどうだっていい。

記憶があるのは問題じゃない。

記憶をこうして見ながら、

進んでいける私だけの道があるし、

記憶からヒントを得て、

クリーニングすることで、

どんどん自分になっていくその醍醐味があるのかもしれない。

 

 

 

「問題は、記憶を持っていることではなくて、

記憶を再生させっぱなしの自分である」

とパトリシアさんというホ・オポノポノの講師が言っていたのを思い出す。

 

 

 

記憶を使って、クリーニングして、

ただただ生きていきたいなあと思う。

記憶をクリーニングしている最中、

時に、まるで何か大いなる存在からの声を聞いているような感覚になること「も」ある。

 

 

 

結果ばかり気にしてしまいがちだけれど、

たまにはこのことも思い出したいです。

 

 

 

10月、私がお話をさせていただくイベントの機会を作らせていただけるようです。

また、改めて告知いたします。

コメントもいつもありがとうございます。

また少しづつお返事させてください。

ありがとうございます。

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アイリーン

ソウルの朝、バスの中

韓国でクラスがあり、母と週末一緒に過ごした。

その前の週に台湾でもクラスがあって、母はそこにも来ていたので、約二週間、久しぶりに毎日をともに過ごした。

日本で会うときもお互い仕事をしていて、ちゃんと話すのは仕事終わりか週末ちょこっと。

同じ場所で寝泊まりして、台湾ではわたしの夫と娘も一緒で、距離感がぐっと近い時間がこれだけあったのはほんとうに久しぶり。

たくさん喧嘩した。

うちの喧嘩は本気の喧嘩。

徹底的に心が揺れ動かされ、傷つけ、傷つき、容赦無くどんどん言って、ちょっともうお互いギブアップ、の手前でようやくクリーニングを思い出して、ちょっとクリーニング休憩を持つ。

その間になんか他の楽しいことが割り込んで来てくれるか、ちょっと苦いけど、まあ家族だからその重さと一緒にでもいられるくらいの愛はある。

 

これだけお互い、ホ・オポノポノのそばにいる身なのに、進歩したのは、クリーニング休憩が最後の最後であるということくらい。

親子だからしょうがないと思ってがんがんしてきた喧嘩のあとで自分の気持ちをケアすることくらい。  

帰りは別々の飛行機で、当分出張が続く母と次に会える予定は未定。
 わたしの方が先の飛行機で、朝早く、ホテルの前から出発するインチョン空港に向かうリムジンバスの見送りに母は来てくれた。

ちょっとハグして、またね、気をつけてね、早く部屋に戻ってちょっとでも寝なよ、と言ったので、母はバスが出発する前に、またホテルに戻って行った。

私はバスの窓からその背中を見送りながら、しばらくじっとしていた。リラックスしながら、でも流れ始めた色んな気持ちをただサラサラとクリーニングしていくことにした。

 

やっぱり寂しいこと、

ありがとう、

楽しかったな、

でも正直しんどかったな、

たくさん傷ついた、

許せないこともある、

でも母が愛しくてたまらない、

幸せを願わずにはいられない、

もっと優しくしてあげればよかった、

もっと労ったらよかった、

涙もちょっと出てくる、

もっと話すときはこころをこめて携帯なんて置いておけばよかった、

あれもこれもかけがえのないことだった、

クラスで会った参加者の方々、アシスタントのみなさんとも会えたこと幸せだった、もっともっと大切に時間を過ごせばよかった、

会っている間は会っていることだけを思ってあれこれと他のことはあとで考えたりすればよかった。

どうしたって別のことを考えたりやったりしてしまう自分がうんと残念な人に思えた。

いつまた会えるか、いつまたあんな風に一緒に居られるか、わからないのに。

じつは本当に尊い時間なのに。

憎くても、疲れてても、今は今しかないのに。

そんなことを思い出してクリーニング、

後悔もクリーニング、

好きの気持ちが出て来て、

でも感情が溢れてくると、ジェットコースターが落ちていくときのふわっとした感じになってきて心地悪いから、また携帯を手にして、帰りの飛行機の時間を確認してみたり、カバンの中身の確認したりしてみようという気になるんだけれど、それは今は一旦しないで、ただクリーニングすることにした。

心地悪いから、

ばかばかしいと思ったり、

苦しいから、

忙しくしてみたり、

それもすべて今はバスの中でクリーニングしてみよう。

母が戻って行ったホテルの玄関のところにある水が流れるオブジェがどう見ても洗濯板にしか見えない、すでに硬いホテルのベッドが懐かしい、今すぐ戻って母の寝息を聞きながらうたた寝したい、

 

バスが出発して見えてくるまだ車の少ない早朝のソウル、自分が住んで居ないから、いろいろなことが目新しく、楽しそうで、ちょっとそこに暮らす人々を羨ましいような特別に思う気持ち、

これから戻る台北でのわたしの家族との暮らしがちょっと重苦しく、かったるく、でもなにがなんでも早く取り戻したい、早く会ってただただくっついていたい、そんなめちゃくちゃな気持ち、

クリーニングしていくと、さらさらさらさら、心地悪いものも感傷的なものも、とにかく色んな気持ちが流れていく、それがなんなのか、なんの意味があるのか、わからないけれど、クリーニングしていくと、ふと、全てが美しくて寂しくて、ありがたい。

私とウニヒピリでぎゅっと抱き合っていないと、抱き合っていたいよ、とどうしようもなく思って、目には見えないから、だからクリーニングを通して自分のウニヒピリに優しくあろうと思う瞬間が訪れる。

 

私の本当の想いは母にはなかなか伝わらない。なんで母があんなこと言ったりするのかもわからない。記憶が本当にたくさんで本当に何が起きているのかはわからないのだから当然だ。だからこそ、この限られた時間の中で、できるだけクリーニングして、記憶から本当の自分を、今を、私たちがここに生きる知恵を掘り起こし、愛する人に伝えられますように。愛する人たちの本当の声が聞こえる自分でありますように。

今までここに書いたこと、あまりにも取り止めがなさすぎて、気持ちがだらだらで、当分読み返したくない。

 

でも、もし読み返す時がきたとしたら、その時は、また、今バスの椅子に座っている自分のように、ただそのときのことを自然と表面に浮かんでくる気持ちをさらさらと力を抜いてクリーニングしたい。
強い気持ちも、小さなささやかなことも、選ばないでクリーニングするこの時間は、決して心地良いだけではないけれど、ひょこんと無力な自分が何か大きな偉大なものから触れられている、そんな気がするのです。


ありがとうございます。
POI

アイリーン