月別アーカイブ: 2015年9月

完璧な美しさ

最近ジュリアロバーツがInstagramに投稿した写真とメッセージ、すでに世界中の人々が読まれていると思いますが、わたしもこのシンプルなメッセージにこころを動かされた一人です。
http://www.aol.com/article/2015/09/10/this-photo-of-julia-roberts-challenges-todays-beauty-standards/21234158/
わたしなりに訳してみたので良かったら上の原文と合わせて読んでみてください。
「完璧さを求めること、これはみんなが患っている病。
完璧さを求めるために、メイクを何重にも重ね、ボトックスを繰り返し、気にいるボディーサイズになるために自分自身を飢えさせる。
外側の何かを治そうと必死だけれど、目に見えない部分はどうやって治せばいいのだろう。
手術を必要としている場所、それはわたしたちのたましい。
今、はっきりさせる時がきている。
自分自身を愛することができないのに、どうやって人から愛してもらうことができるの?
ありのままの自分でいる、ただそれだけでハッピー、あなたの外側がどう眼に映るかは全く関係のないこと。
内側で何が起きているか、ただそれだけが重要。
今日、わたしはスッピンの顔をここで紹介します。ご覧の通り、顔にはたくさんのシワを見つけることができるけど、どうかその奥にあるものを見つけて欲しい。
わたしはありのままの自分を受け入れたいと思っているしし、あなたにもありのままの自分、ほんとうの自分を受けて入れてほしいと願ってる。
そして、それをそのまま愛して」
ここでは、体や顔の表面的なことについて話されているけれど、これは外に問題を体験している時、わたしが普段どんな風に自分と関わっているかまるごと表していると思いました。
ホ・オポノポノを実践する中で、完璧な美しさ、本当の自分を生きることについて何度も繰り返し、見続けてきたことを改めて内省するきっかけを与えてくれました。
わたしが問題を体験した時、それを解決するためにすることは、外側に現れる不快さを粗探しして、対立することばかり。気付いた時には、世界にはわたしの幸せを邪魔する敵ばかり。
争い、比較し、隠したり、逃げたり、わたしがそうした方法で得られたものは、復讐心だけがほんの一瞬満足することができる勝利だけ、気づけば、傷に傷を重ねた醜く弱った自分自身。
この肉体でこころでこの道を旅しているのに、ここまで乗り心地が悪くみじめな乗り物にしてきたのは、他でもないこの私なのだ。
本当の自分を愛する、ただそれだけが、今ここでできる最大のトリートメント。
愛してるよ、このことをただ繰り返し伝えるべき相手は内なる自分。
外に問題解決を求めている時の自分はジュリアさんが言っているように、ほんとうはいつだってキラキラと輝いている自分のたましいに、厚化粧やボトックス、飢えを与えているようなものなんだと思う。
自分が今ここで決めることができる、
自分を愛するのか、恐怖を生きるのか。
本当の自分でこの旅を続けるのか、痛みに満ちたこの乗り物をさらに傷つけるのか。
ほんとうの美しさや完璧に戻る方法は、わたしたちが隠してきたほんとうの自分の声に耳を傾け、愛を伝えたら、もうすでにわたしが知っていることなのだと思います。
読んでくださってありがとうございます。
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アイリーン

掲載のお知らせと近況

ご無沙汰しています!

台湾もようやく秋らしく、といっても日本の秋とは違うのですが、陽の光がカラカラとしているかんじ。そして短い時間ですが、南国らしく、ざざ〜と大雨が降るの度に、気温が下がってきている気がします。でもまだまだ半袖半ズボンのわたしです。

現在、スターピープルVol.56という雑誌の中でKRさんとわたしのインタビューが掲載されています。なぜかその時はKRさんはあまり話さず、気になって、KRさんの顔色を伺う度に「すごくいい、続けて」と言われた、不思議なインタビューでした。結局なにがよかったのかはわかりませんが、もし機会があれば、ご覧になってみてください。

あと、ウーマンエキサイトにて、『ホ・オポノポノジャーニー』の記事が掲載中です。http://column.kirei.woman.excite.co.jp/article/rid_E1441073258117/p_1?title=f0ac1e17029c5d27706e78a5fbd19e88&mode=prevarticle

8月の講演会後、たくさんのコメントやご感想を寄せてくださり、ありがとうございました。あの会場で、ある方に「のりにのっていますね」と声をかけていただいたのですが、いまいちピンとこなくて、むしろ、講演会の後は、わたしの気持ちは大波にのまれたような気持ちでした。悲しい気持ちとか怒りとか順序なく沸き起こっていました。でも、これは、本の中でもジーンさんなどがお話されていることなのですが、ホ・オポノポノでは、「あらゆることはすべて対になっている」ということなのだと感じました。

つまり、「良い」とか「悪い」と判断しているのは、わたしのマインドなのであって、表に何か突飛して派手に浮かびあがってくるもの、お話くださった方の「のりにのっているような状態」のようなものがもしもわたしの表面で現れているとしたら、その反対側で必ず、同じ分量の何かが生じているのだな、ということ。

だから、講演会後は、素晴らしい体験と同時に自分の感情面でのいろんな負債のようなものがドバドバと現れて、すごかったのです。今までのわたしだったら、ここで、ああやっぱりわたしってこんなものだ、とか、こっちのわたしがほんとうだ、とかくよくよじめじめやっていましたが、今回は、ばななさんとのお話や、本を通して出会った言葉や、自分自身の体験から、ああ、あれがこうして出てきたから、今このかんじが浮かび上がってきたのかもしれない、とただ静かにクリーニングを続けることができたのがわたしにとっての最大の成果かもしれない。

これって盛り上がっちゃいけない、という押さえつける意味の静かさではなくて、釣りみたいな、なにかこの宇宙と自分の間のバランスをとっているような冒険です。このかんじを掴めたこと(また忘れちゃうけど)はすごくよかったです。いろんな時期にこのことを思い出せるといいなって思います。

そして講演会が終わって、台湾に戻る間際、母と一緒に千葉までLucie Rie展を観に行ってきました。とにかくLucieさんが好きで、行ってよかった。昔にLucieさんのドキュメンタリーのようなものを海外で見たときに、床下から乾かしていた?寝かしていた?作品たちを地上に出すときに小柄なLucieさんが体を突っ込んで突っ込みすぎて、出られなくなっている姿を見て、とってもいいなと思ってから、作品はもちろん、Lucieさんファンです。

展示されていた作品も前にヒルズで展示されていたものとあまり変わりはなかったように感じましたが、それでも彼女のピンクやブルーを見ると素直な気持ちを取り戻せます。詳しく読まなかったので、かなり間違っているかもしれませんが、時代的な事情で一時期ボタンばかり作らなくてはいけない時期があったそうで、そのときのボタンも展示されていました。素材や工程などきっと全然違うのだろうけれど、もっと商業的な目的だったのだろうけれど、そのボタン一つ一つにLucieさんの手が触れていたのだということが、ボタン全身が発しているように感じました。愛の中で何かを表現することは、その愛が生きていることの表現だとしたら、その人は何をやっても、何をしてもその人が関わった細部にその人のアイデンティティーが現れるのだな、と感動してしまった。

ヒューレン博士と食事に行ったときのことを思い出して、博士はいつも、出される料理がどんなに美味しくても、それを作った人、その素材をとってきた人、それをサーブした人の記憶みたいなものを真剣にクリーニングしていました。私たちがいつも、何気なく、人に渡すもの、送るメール、やりとりする言葉、買い物にいって料理を作ること、渡航で行われる様々なプロセス、その隅々に私たちの記憶かインスピレーションが残っているし、受け取っている。そのことを深く思い出しました。

日々慎重であれ、油断してはならぬ、というメッセージではなく、私はこれだけ常に無防備に傲慢にただ生きているだけで、エネルギーを表現している。表彰されることがあろうがなかろうが、事件になろうがなるまいが、ただ生きているだけで、何かを生み出して、同時に削っている。でも、それが許されている、ってほんとうに自由です。その中で、いかに本来の自分であるか、それを取り戻す旅に、今自分がどこにいても、何を仕事で、誰が家族だとしても、みな平等にいるんだということを忘れないでいたいなと思います。

よい秋を!

写真は台湾最南端の墾丁(kenting)、泳ぐとすっきりしますよね。

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アイリーン