スポンジ

去年の終わりに、赤ちゃんが生まれ、新しい命ってほんとうに、とにかくフレッシュな存在で、とても大きくて、それと近くで関わっているあらゆる人が、これまでの淀みを清算しないとどうしようもない、そんな流れがみなに起きた。わたしは夫との関係だったし、夫は実の両親とのこと、弟はしごと、みたいに、何かしら、大きく動いた年末年始。

そして、わたしの母にとって、それは大掃除、大断捨離として現れた。わたしの母も伯母も、生い立ちから抱えてきたいろんなことから、なかなかものを捨てられない、祖母が残してきた、形の残るもの、残らないものをいろんな形で抱え込むというのを、わたしも幼い頃から見てきたけれど、母はそれを今までいろんなセミナーだったり、そしてホ・オポノポノと出会ってほんとうに素晴らしく変化させていった。

でも、ものを溜め込む、手放すリズムみたいなものは、なかなかまだまだうまくいかないようで、母の家に行くたびに、いろんなことを言いたいけれど、それをクリーニングしたり、口にしてしまっては、大げんかになり、またクリーニング、、、みたいなことを繰り返してきた。

そんな中、母はとうとう一大決心をして、部屋を生まれ変わらせる、いろんなものとお別れをする、ことを決意して、じわりじわりを動き始めたのだが、その姿、プロセスは、痛々しくもあり、たくましくもあり、弟と手伝いつつ、見守りつつ、なんだか母のウニヒピリの様子を目に見て、感じる、そんな体験でした。その中でフリマに参加したり、今までいなかった娘の存在がみなにとってなんだかたくましく、今こうしてあのときのことをまとめようとしても、まだまだまとまらない、そんな感じです。

おかげさまで、母は新しい新居でのびのび新生活を始め、大きく起こした行動の疲れや思いの整理を静かにしています!

そんな大掃除のときの話、毎日、途方もない作業が行われ、一体全体どうやったらこれだけものが溜まるんだ、この家のどこかにブラックホールとつながる場所があるに違いないと思わずにはいられないほど、ものが、とにかく、ものが、、次々に出てきては、悲しい気持ちに、出てきては、苛立ち、出てきては、怒り!と、わたしもクリーニングをしたり、忘れたりしつつ手伝い、母、わたし、弟は作業を進めていった。

ある日、「使えるものはどうかこの中から使って」と、母から大きな紙袋を渡されて、家に持ち帰って、それを開いてみると、たくさんの食器洗いスポンジや洗剤、未開封の雑巾的なクロスや、そのほかさまざまは掃除便利グッズが入っていた。それらにはすべて、半額シールなどがついていて、きっとこの10倍の数がそれぞれ見つかったのだろうな、これはその一部に過ぎないのだろうな、と思うと、途端に怒りがこみ上げてきた。いっそ、この袋ごと捨ててしまえ!捨ててやる!とその言葉通り、とても暴力的な気持ちにまでなった。

わたしは身内にとても短気で、ふと、こんなスイッチが入ることがある。その時もスイッチは入り、それまで結構大きな気持ちで母を手伝ってきたのに、掃除の疲れも手伝って、その紙袋が原因で、感情は揺れに揺れた。紙袋をそのまま、ゴミ捨てばに持って行こうかと、手提げの部分を乱暴に手に取ろうとしたとき、一番上にちょこんと乗っていた未開封のスポンジのプラスチックの袋が電気に反射してキラリと光ったのが目に入った。

そこで、なぜか一瞬クリーニングした。ただ、「ごめんなさい、愛しています」。

そして、そのスポンジを手にとって、パッケージを読んで、破って、中のスポンジを出してみたら、不思議とこんな声が聞こえたのだ。

「お母さんは綺麗にするために買ったんだよ」

とてもかすかだけれど、優しい声だった。

そして映像まで、なんとなく見えた。それは母が会社の近くにあるドラッグストアのその売り場で、いくつもあるスポンジの中から、このスポンジを手にとって、老眼の目をこらしながら、説明やこのスポンジの凄さを一生懸命読んで、このスポンジが有能で素晴らしいものとして、自信を持って、嬉しくて、爽やかな気持ちで、レジに運んでいく母の姿をわたしははっきりと感じた。

わたしの手に入った、その小さなスポンジをもう一度みると、そこにはもう怒りなんてなく、表のまるで泡のように細かいグリーンのスポンジと裏の粗めのブルーのスポンジが、まるで綺麗な宝石のように輝いていた。

ああ、よかった。クリーニングできてよかった。こころからそう思った。何かとても大事なものを失うところだった。失いかけていたのはスポンジ、ただそれだけではない。それは、わたしの中にある、ウニヒピリの声であり、わたしがわたしである貴重な何か。それが具体的にどこでどう役に立ち、何に必要なのかはわからないけれど、わたしが生きていく中で、とても大切な、自分にとっての宝ものに近い、コンパスのようなそんなものな気がした。

心はもう落ち着いていて、今度は紙袋から、入っていたものを一つ一つ改めて出してみてみた。ミクロの力で洗剤なしで汚れを落とすクロス、洗剤が約半分でよくなる洗濯機用ボール、強風でも絶対に落ちない特殊な形をした洗濯バサミ、それぞれが今度はしっかりと凛々しい様子で目に入り、丁寧に、わたしはそれらの居場所を今度はわたしの家に見つけることに夢中になった。

母がそれらを買い込み、使い切れず、処分することになったことはもちろんよろしい話ではないし、美化するつもりもないけれど、わたしがそのものたちの存在をしっかりと認めることは、紛れもなく、わたしを取り戻すことに等しいパワフルなアクションだ。

そして、うまくはいかなかったけれど、母がそれをその時、とても大切に選んだこと、それらのものたちへの使い道を丁寧に考えたことを受け取れたことも、わたしを豊かなじぶんへと戻してくれた。

なんで、何かに対して、意地悪な気持ちがいやなんだろう、なんで何かに怒ると苦しいのか、それは、その対象とわたしに無限にあるはずの素敵な可能性とか、本来の目的を一瞬にして破壊して、踏みにじってしまうからなのかもしれない。それはきっとわたしそのもの、そのたましいの部分が大きく損なわれるようなことなんだと思う。

小さなことでも、それを捨てるにしても、とっておくにしても、わたしがその時、どんな気持ちで扱うか、それはきっちり刻まれてしまうのだなあ、なんだかそんな気がした。

赤ちゃんと一緒に暮らしていると、さらにそれらを強く感じる。台北で暮らしているアパートではその四方八方でビルの建設ラッシュで、よく言う騒音被害の真っ只中。生まれる前は、自然に囲まれた静かな環境で育てられない〜と嘆いていた。でも、赤ちゃんって音の大きさではなく、その音が持つバイブレーションでしか反応しないと思う。鉄筋コンクリートの重なる音よりも、わたしの苛立ってしめたドアに反応する。大きな音を立てず、できるだけ小さくしめても、イライラしていたら、それに反応する。風でバタンと大きくしまってしまったドアにはびっくりしつつもニコリとしているのに、わたしがイライラしている時に関わるあらゆるものとの接触から、何かを感じ取っているのが、一緒に暮らしているとよくわかる。そして、それは赤ちゃんじゃなくても、ほんとうは日々、私たちすべてが感知していることなんだ。それぞれの思いがモノに、道に、土地に残っている。

だから、わたしにはクリーニングがある。今日も出会う無数のものやひと、もう二度と出会わなくても、今日それを捨てるとしても、誰かに譲るとしても、記憶のアカコードをできるだけクリーニングすることが、今わたしを生きること、今出会い、別れ、それぞれが自分を生きることだ。

イライラが重なって、大きな問題が起きて、何から手をつけたらいいのかわからない、途方もない、気分が重い、そんな時こそ、今日一日、関わるもの、触れるもの、歩く道に残しているわたしの思いをできるだけクリーニングするようにしている。疲れ果てつつ改札にタッチするときのPASMO、やだな〜と思いながら食器を洗っているとき、前方で道を占領しながら歩く人たちにイライラしながら歩くその道、とつぜんフリーズしてしまったパソコンに焦るとき、エレベーターがなくて仕方なく階段を歩いているとき。そう思うことがダメなんじゃない。でも、それをそこでクリーニングしていく、そのモノ、場所、道に残しているわたしの想いや体験をクリーニングしているといつの間にか、なんだか少し清々しい、それこそが自分を取り戻す大きな旅の始まり。一日できるだけ、そのことに意識を置いて過ごしてみると、不思議と何かが収まり、流れが変わっていることに気づくはず。

スポンジ、ひとつとの関わりの中に、わたしを生きるための秘密が隠されている。

グリーンとブルーのスポンジが今、キッチンの流し台のところで、堂々と佇んでいる姿を見るたびに、自分の尊さを思い出している。

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写真は、台北花市で出逢ったハイビスカスです。台北は今の季節、植物大爆発です。

久しぶりにブログ書きました!たくさんのコメントありがとうございます。嬉しいです。

代官山での講演会、来てくださった方、ほんとうにありがとうございます。以前講座などに来てくださった方々の姿も見れて、幸せでした。

またブログ書きます!

読んでくれて、ありがとうございます。

 

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アイリーン

 

 

 

 

 

 

 

 

4/9(土)トークイベントのお知らせ 

 

4/9〜15の間に代官山で開催される『g:enarate』というイベントで、初日の対談トークイベントに参加させていただくことになりました。一時間半という短い対談講演ですが、ご興味がある方はぜひお越しください。以前開催したフリマイベントからさらに広がり、生まれた企画(?)だそうで、この流れに素直に、クリーニングしながら、参加させていただきます。台湾に戻る直前のイベントなのですが、お会いできることを楽しみにしています。

4/9 (土)17:30〜 お申し込み詳細はコチラから。

http://peatix.com/event/160207

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たまに、一日の間に「容赦ないな!」と思うくらい、心の負担になる出来事が度重なることがある。そんな時、心も体もへとへとで、視界がずずずっと、狭く、10トーンくらい色彩も落ちて、もちろん孤独な気持ちでじっとしているしかどうしようもない気持ちになる。

昔はどうしていただろう、とにかく一日を終えることだけを見つめていたのか、それとも、暗さを上書きできるようなアッパーな出来事を無理やり探してへとへとになっていたのか。

今はホ・オポノポノを知って、どんな状態でも、クリーニングは一応しておこう、というくらいにはなった。そんな自分がたくましい気もするし、進化していないようでも、ある。

つい先日、先に書いたような精神的にボディーブローをもろに受け続けるような日があって(誰も直接的には悪くないし、たまたま重なっちゃうような日こそ辛い)、今日はこんな感じか、昔からこんな日ってあったなあ、今も昔もあまり変わらないなあ。ととぼとぼ、心の中でウニヒピリに話かけつつ、クリーニングしつつ、娘を連れて会社から家に帰ろうとしていたそんなとき、ふと、あるビルの一階の窓に大きなポスターを見つけた。とても素敵な北海道のボタニカルアートの展覧会のポスターだった。真正面で見たこともない大きな花びらや茎が詳細に描かれていて、一瞬にして、閉じていた心がばっと開いたような気がした。呼吸が深くなり、視界も開き、足もしっかりして、今日しかない、私のコンディションをとても愛おしく感じた。娘といつかこのお花を北海道に観に行きたいな、と未来さえもキラッと光り、わたし達はしっかりと帰宅した。

そして気がついた。ホ・オポノポノをするようになって、いろんなことが起きたけれど、とてもありがたいのは、こんなふうに、時折、ぐっと記憶の景色に入り込んでしまったときも、ふと、ディヴィニティーの案配、あしあとを感じられるようになったことだ。あるときは、いつも目を合わして、会釈する不動産屋さんのおじいさんが、太いしっかりした声で「お元気ですか?」と声をかけてくれたことでまた自分に持ち上げてもらったこともあった。それは、他にも、たまたま開いた本のページの数行かもしれないし、駅で目に入った光景かもしれない。友達と話していてふと言われた一言かもしれないし、今日の空の雲の形かもしれない。たまたま立ち寄ったラーメンやさんのスープの温かさかもしれないし、カフェで耳に入ってきた音楽のリズムかもしれない。クリーニングすればするほど、たくさんのクリーニングできる記憶と同じくらい、ちゃんと自分でいられることを許されている、守られている、そのしるしのようなものに出会わされていることへの気づきも増えている。このことは、わたしにとって本当にありがたいこと、そしてそれを気づかせてくれるウニヒピリにこころから感謝できることが、とても大切なことだ。

まだ若い学生時代、吉本ばななさんの短編の作品で「ともちゃんの幸せ」というものに、当時とてもとても救われたのだけれど、それを今、ホ・オポノポノを通して、頭の世界ではなく、リアルな世界の中で体験できるようになったのが最大のご褒美だ。

私は、私たちは、どんなときだって、ゼロである大きな手のひらに包まれ、自由を与えられている。

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たまたま通りかかった乃木神社で見つけた桜。娘にとっては初桜。ゆっくり娘の目線で見てみたら、桜だから綺麗なんじゃなくて、ただ、白く光った美しい存在が風に揺られている、でした。そして、その周りも、私たちを包み込んでいる空気もとても綺麗で、幸せになりました。

Divinity is everywhere and nowhere.

ヒューレン博士がことあるごとにおっしゃっているフレーズです。

「ディヴィニティーはどこにでもいるし、どこにもいない」

クリーニングするか、しないか、インスピレーションを見るか、記憶を見るか。私はいつでも自由を与えられている。

いつも、記憶からの判断をクリーニングして、一瞬一瞬を見て、聞いて、食べて、生きていきたいです。

素晴らしい春のときを!

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アイリーン

 

 

加島祥造さん

加島祥造さんが去年の12月25日にお亡くなりになりました。

詩人、アメリカ文学研究科、タオイストと、加島先生が遺した素晴らしい作品たちから、いろいろな名前を付けられるけれど、わたしにとって、敬愛するアーティストです。

先生の訃報を受け取ったとき、わたしはまだ台湾にいて、今は日本ですが、長距離バスの移動がまだタイミングではないため、お亡くなりになってから伺うことはできていませんが、今はもう会えない寂しさよりも、ギフトのように巡ってきた先生の出会いの中で与えられた数々の美しい出来事がこころの中で豊かに育っていく気配を感じています。

先生が暮らしていた長野の伊那谷に初めて伺ったのは、イハレアカラ・ヒューレン博士と一緒でした。ある方のご紹介で、ヒューレン博士に加島先生を紹介したい!という目的でした。印象的だったのは、ヒューレン博士はあの通り、誰にあっても自然と対峙するような、何も変わらない感じでただ加島先生と数時間一緒に、その素晴らしいご自宅、質素なんだけれど、要所に加島さんのアーティストウェイが散らばり、お庭ではいのちが開きたいように開き、在りたいようにただ在る、という様子を楽しんでいたのだと思います。

途中、加島先生が、すでに読んでいた、ヒューレン博士の本を老子の発想に置き換えて、潜在意識はこうで、ああで、この隠と陽がああで、とまるで少年のように、流暢な英語で博士に話す時間があったのですが、そんなときもヒューレン博士はただニコニコとクリーニングをしながら、返事になっているのかなっていないのかわからないような返事をたまにしているのですが、そのお二人の様子がほんとうに無邪気であったことが今でもこころの中で鮮明に思い出されます。

加島先生は少年のように、ただそこにいる人を、ありのままに興味深くながめ、何かあれば、ストレートに質問をし、『求めない』を読んだ高校時代から先生のファンであったわたしはそのとき付き人風を装って一緒に伺ったのですが、そんなわたしもその時間場所に自然と含んでくださってとてもとても嬉しかったです。「またいつでも遊びにいらっしゃい」と言ってくださいました。

長距離バスで帰ったのですが、帰り際、憧れの加島先生と会えて嬉しい気持ちをクリーニングしていたわたしにヒューレン博士がこう言いました。

「クリーニングして、縁がまだあると思うなら、また訪ねたらいいんじゃないかな?あくまでも、クリーニングをしにいくんだよ」

そうして、わたしは年に数回、伊那谷に訪ねるようになりました。新宿から高速バスで約4時間ほどなのですが、時間を見つけては、日帰り、またはお手伝いさんをお手伝いするという名目で、その素敵な山小屋に他のゲストと一緒に何度か泊まらせてもいただきました。

先生がまだ立って歩かれていたときは、一緒に伊那谷をお散歩に出かけたり、栗を拾ったり、東京からのお土産をお茶と一緒に美味しく食べたり、小山を超えておそばを食べに行ったり、わたしの何かを埋めてくれるような、ほんとうにきれいな時間をたくさん与えてもらいました。

あるとき、ご自宅の整理をお手伝いしていたとき、引き戸の中に先生が作った花瓶が見つかりました。埃をかぶっていたのですが、洗って茶の間に置いてみたら、

「これに生ける花を外から見つけておいで」とおっしゃいました。

生花なんて習ったことないし、いつも先生のご自宅には芸術家や作家さん、いろんなプロの方が出入りしていて、ちょうどその日も何かと来客が多い日で、いつの間にか少し萎縮していたわたしは、ええ〜、そんな大役、無理無理!と内心思って躊躇していると、そんなわたしに気づいたのか、先生に花切りバサミを手渡され、

「あなたが見つけてくれた花瓶に挿したい花を探してくれれば、それでいいんだよ」

と言い、わたしはお庭に出て行きました。先にも書いたように、整えられたガーデンではないのだけれど、加島先生のお庭は外の山と一体になるようで、でも、加島先生の暮らしを少し守りながら華やかさを与えるようにまるで、自然が意思を持って動いている、そんな不思議で絶妙なバランスで空間が成り立っているのです。

わたしは早速クリーニングしながら、先生のお家に入りたいですか?ハサミで切ってもいいですか?と話し掛けつつ、お花をいくつか選んで、「アイスブルー」と言って切っていきました。そのとき、とても頭はクリアな状態で、手がさらさらと動いていました。このくらいでいいかな?とやめようと思ったとき、ふと頭に「いやもっと華やかにしたほうがいい」と考えがよぎり、もう一本切ることにしました。

そこで、終わりにして、家に戻ろうと、振り返ると、縁側に先生が足をぶらぶらさせながら、こちらを見ていたのに気がつきました。

「その最後の一本はどうして採ったの?」

いつから見ていたのか、先生はそんなことを言いました。答えに困っていたわたしに先生は続けてこう言いました。

「人はすぐに意識に溺れちゃうんだね。あなたが生き生きと自然と関わるその流れを皆見ていたのに、意識がそれを壊しちゃうこともあるんだね」

お家に戻って、花瓶に採ったお花を生けてみると、やはり最後の一本が余る、というか、バランスではなかったのだと気付きました。わたしが最後に見えたエゴ、意識、つまり記憶をそこでただクリーニングするか、ただそこに溺れてしまうかでこんなに現実が変わるんだ、と些細なことではあるけれど、すごく実感する体験でした。

結局、最後の一本は花瓶には活けず、東京に持ち帰り、家の一輪挿しに入れて、当分の間、水切りをしながら、その体験をクリーニングしました。

交流が続く中、わたしにもいろいろな人生の転機が訪れ、台湾に行くことになったとき、そのご報告をしに行ったときのこと、先生のご自宅には手作りの茶室があり、その中で絵をお描きになったりもするのですが、その日は突然先生が思いつきで、お茶をしましょう!と茶室に案内してくれました。

「僕は流派が苦手なの。だから、全部自前だよ、バカにしちゃあいけないよ」と言いながら、手早くお茶をたて始めてくれました。わたしは正座しながら、先生がたててくれた抹茶を飲みながら、すごく心が落ち着いて、ああ、日本って最高〜、と満足していると先生がまたボソボソっとわたしに話しかけました。

「どこに行っても、新しい場所でも、お茶をたてればいいんだよ、ただお茶をたてつづけていればいいの。まずは一人でね。それでね、お茶をたてていたら、いつかちゃんと友達ができるんだよ。真の友達ができるんだよ。でも、まずはあなたが一人でお茶をたてなくちゃいけないの」

茶器もないし、無精なわたしが台湾でお茶なんて、と思いましたが、ふと、ああ、これは茶道のことをただ言っているのではないのだなとお茶をたてている先生の背中を見ながらこころにメッセージが落ちてきました。

ほんとうに一人になったとき、そこに愛を取り戻したとき、つまり内なる家族が一つになったとき、外側でほんとうの友人、家族と出会うことができる、わたしがホ・オポノポノで出会った真理を先生は生き、それを伝えようとしてくれているのだ、と気付きました。

台湾に行って、すさまじい勢いで慣れない生活を落ち着かせ、友達にも恵まれ、夫にも出会い、家族も作ったつもりになっていたけれど、どこかでいつも寂しくて、その寂しさを隠す度に、いつのまにかひねくれていた今のわたしが思い出すべきことは先生のたててくれたお茶です。東京にいようと、台湾にいようと、夢の旅先にいようと、お茶を一人でたてることをこれからはやっていきたいな。

最後に先生とお会いしたのは、ご自宅で倒れられたと聞いて、バスに飛び乗って向かった伊那谷の病院でした。先生が生涯愛したバリに、その頃わたしは生まれて初めて行って、とても綺麗な配色のバリの生地を先生にと買っていたので、それを持って行きました。先生は麻痺を起こしていて、お話することができませんでしたが、生地を見せると喜ばれて、病室のの掛け布団の上にかけてみました。そのときも、わたしのかけた位置が少し違っていたらしく、微妙に右にずらせと指示をうけ、右にずらすととても満足されたお顔を見せてくれました。美しいことを真に愛する人は、物や時間、場所のアイデンティティーの声を聞ける人なのだと思います。先生はまさしくそんな方でした。

先生から教わったこと、いただいた素晴らしい叡智がほんとうに無限にあります。わたしは、それを大事に自分の中で育てて、先生への想いをクリーニングし、感謝し、わたしを生きていきたいです。

数年前ですが、先生の未発表なまま、お家に散らばっていた絵を整理していて、これはホ・オポノポノのオフィスに来ていただいた方々も喜ぶのではないかというものをいくつか集めて、東京に持ち帰らせてもらい、展示していたことがあります。写真ですが、このブログを訪れていただいた方にも見てもらいたいので、添付します。(許可をいただいています)

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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アイリーン

 

大阪ベーシック1クラスへ

先週末開催された大阪ベーシック1クラスに娘と一緒に参加しました。受講生としては、日本で初めて開催されたクラス以来の約9年ぶりの参加でした。

それはそれは貴重な体験となりました。同じマニュアルを使っているのに、なぜこんなに毎回新しい体験なんだろう。娘がいたから、いえ、それだけではありません。それだけ、わたしが記憶を持っているからなんだと思う。クラスに参加する度に消去され、またその奥にあった記憶が顔を出し、その記憶を消去しているそのプロセスは一見途方もなく見えるけれど、それだけ私たちがどんなときもクリーニングによってリフレッシュできるということなんだと実感しました。

クラスはいつでも内なる家族と深くつながることのできる、HOME COMING HOME. わたしにとって神聖な場所です。去年までは知らなかった娘と一緒に参加して、とても不思議な気がしたけれど、講師やスタッフ、そして何よりも参加されている方のクリーニングのおかげで、とても穏やかな娘でした。

何人もの方に優しく声をかけていただき、クラス途中、何度か声を出している娘とわたしの珍道中をただクリーニングして見守ってくださった皆様のやさしさ、あたたかさ、光のようなものがまだ、わたしの内側に残っていて、このvibrationを子育ての中でいつまでも響かせていけたらな、と思っています。

ブログのコメントにも、ほんとうにほんとうに励まされています。ひとに優しい言葉をかけるというのは、実はものすごく厳しい作業というか、自分の何かを分け与えているわけなのだな、とデジタルなコミュニケーションなのに、ものすごく、生のあたたかさを感じています。ほんとうにクリーニングを真剣に実践されている方は、すごい。言葉にはまだまとまりませんが、とてもとても感謝しています。

質問に直接答えていないものもいくつかありますが、クリーニングしながら、今のわたしのベストでシェアしていきたいと思っています。すばらしいチャンスをありがとうございます。

大阪、ごはんもおいしくて、なんだか活気付いていて、すごくよかったです。大好物のたこ焼き、今回は一回しか食べられなかったけれど、串とかにもチャレンジできて、エネルギーチャージできました!

 

実は縁があって、フリーマーケットに参加させてもらうことになりました。このお話はおいおい書きたいのですが、わたしの中で変化があるとき、それは外でも起きることってよくありませんか?今回はまさしく弟や母、伯母にまで起きていて、母は母で大整理(こころだけじゃなくて、ほんとうの、家とか部屋!)中です。もう、尋常じゃないほどのクリーニングをしていたのですが、実際に手放したり整理している間に、そのものがまだその役目を活かせる機会がないかな?と思っていた矢先、素敵な方々とひょんひょんとすごいスピードで一緒にフリーマーケットをすることになったのです。

それが今週の土曜、つまり、明日あります。

わたしは弟と出店しますが、私たちの出品はともかく、美容、ファッション、カルチャーでご活躍中の方々の出品がきっとすごいと思います。ご興味のある方はぜひ明日、お立ち寄りください。

In Bloom Bazaar

日時:2016/3/12 土曜 11:00~16:00
場所:http://whateverworks.studio/
出品者:Kazuko Hayasaka,Aki Shimomura,Irene Taira,Hiromi Kani(skinware),Raw waR(Mie Takahashi),H&N Wine Japan(Mariko Honma),Girlin'(Sayaka Umezawa,Sumie Mishima,Sonoko Iwamoto & Kim Hayeon),Aya Watada and more

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それは、ただ外側の喜びを満たすためだけの買い物じゃない。ファッション、ビューティー、アート、マインドフルネスを通して自分を表現し続けている女性たちが、ひとつひとつ国内外から集めた、より人生を花のように咲かせるためのアイテムたちに出会える、一日限りの特別なフリーマーケット。
あなたを今、開かせるのは、一枚のシャツかもしれないし、今まで着たことのなかった色のセーターかもしれない。初めて見る形のマグカップかもしれないし、夢のような香りのキャンドルかもしれない。
希少なグルジアのナチュラルワインをグラスでご提供、おつまみには巧みなシーズニングで深い味わいのローフードスナックも。お気軽に遊びに来てください。お待ちしています!

 

今この瞬間、耳にする音、目にする景色、痛む心、舞い上がる気持ち、一つ一つをクリーニングして、本当の自分をコツコツ生きる、そこにつながることを選択する、地味な作業だけれど、『平和はわたしからはじまる』をしっかり生きていきたいです。大きな出来事があるときこそ、自分に戻る。

ありがとうございます。

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アイリーン

はじめてのウニヒピリ、2016年最初のブログ

最後の投稿から、よしいきおいよく書いていこう!と思ったやさき、あらゆることが光速のごとく日々出現してはクリーニングし、出現しては迷い、出現してはクリーニング、実行、の繰り返しで、気づけば今日から3月です。

台湾、台南での地震の心配をしてくださった方もおり、お返事が遅くなってしまってごめんなさい。地震の前に娘とともに日本に戻っており、私たちは地震を感じなかったのですが、台北に暮らす家族や友人もみな無事です。

被害にあわれた方や土地が癒されていくことを願うばかりですし、何よりもそのニュースをシェアし、恐れを体験している人々、ニュースが招く混乱、または知恵、そういったことはすべて自分の内側で起きていることなんだな、と改めて実感しています。

さて、相変わらず、七転八起をどうにかホ・オポノポノとともにしているわたしですが、娘との新しい日々はとにかく楽しく、出産直後の痛みが癒えた今はいろいろと問題はありつつも、どんなことにも順応しようとしているわたしの体やマインドを支えてくれるウニヒピリに感謝せずにはいられません。わたしに与えられたこのすばらしい一瞬一瞬を見逃さず、享受できるためにも、外で起きていると一見思われがちなあれこれをとにかくしゃっしゃしゃっしゃと掃除するのみ!

と、なぜか先ほど夜中(早朝)に目が覚め、そのまま寝付けなかったわたしは、お風呂に入り(ぜいたく〜❤️)、久々に『叡智のしずく』を読み始めていたのですが、開いたページの中で

着古したエゴや「人生」と名付けたその衣さえも脱いでごらん

という一節が目にとまりました。エゴって、常に自分の内側に待機していて、それがいつかチャンスを狙って発生する、そんな感じに思っていたのですが、もはや着古されてしまっているのかも!とすごく今の自分を内省しながら納得。いつのまにか、エゴ=自分、に意識が寄ってしまいがちだけれど、エゴは脱げるし、手放して、お別れを告げることだってできるんだと思ったら、何かが落ち着きました。

そこで、またブログを書こう!と思えたのです。

昨年末に出版された『 はじめてのウニヒピリ 』、講師たちのインタビュー、そしてわたし自身もインタビューをしていただき、わたしの撮り溜めてした写真たちも使っていただいたり、しっかり本の製作に参加させていただいたのにも関わらず、出来上がってから、しっかり開くことがついこの間までできませんでした。すばらしいメンバーがすばらしいタイミングでお互いのインスピレーションをシェアしながら生み出したのにも関わらず、まさしく!わたしのエゴは、長いこと、このかけがえのない本を「恥ずかしい」という色でしか見せてくれなかったのです。

もちろん、クリーニングして引き受けたことなのですが、この本の中でシェアした自分のプライベートなことや写真がとにかく恥ずかしくて、カラフルでキラキラしている感じがちょうど本が出来上がった頃のヨレヨレのわたしとあまりにも違うような気がして、嘘をついているような気がして、罪悪感まででてきて、その重さで本を素直に読むことすらできませんでした。

出産直後、今現在もだけれど、夫とは喧嘩ばかりしているし、なんか言っていることとやっていることが違うのではと怖くなってしまったのです。

本の中で、インタビューさせていただいた講師たちのメッセージがすばらしいものであるのはもちろんだし、タムさんのイラストは本当に癒されるし、ウニヒピリをテーマにしたあらゆる知恵が詰まっているのもなんども文字チェックしているから知っているのに、本を前にすると、もうこれはわたしのファーストアルバムだ、と感じてしまうくらい自分、自分、自分。。。

本を前にして、恥や恐れ、罪悪感をひたすらクリーニングしていました。この本はもちろん完璧、でもこの本を通してわたしは自分の内側にある多くの記憶と対峙させてもらうきっかけをいただいたのですね。

開けないけれど、無視することはできない、まさしくもう生み出してしまったのだから、なかったことにはできない、決定的な存在として、常にソファーの上に載せて、目に入ってはクリーニング、目に入ってはクリーニングを繰り返していました。

そんなある日、もうつい先週のことですが、エイっという気合もなく、たださらっといつの間にか手にとって始めからさらさらと気づけば読んでいる自分に気がつきました。そこには、今のわたしにぴったりの情報がちょうどよく広がっていて、問題になっていたわたしのインタビューからも、まるで、今のわたしを励まし、支え、導いてくれるアイディア、やさしさを受け取ることができました。インタビューを受けたとき、一生懸命クリーニングして、そのとき実践していたことや、博士やKRさん、その他講師たちから分け与えてもらった知恵をとにかく人生に当てはめようとしている自分にずれはありませんでした。

これを書いていると、このブログを通して、なんだか一人芝居しているような気もしてしまいますが、わたしにとってはとても大切な出来事、プロセスだったので、書き留めておこうと思います。インタビューを受けることも、何かを選択することも、シェアすることもそれをあとあと受け入れられない自分と出会うことも、それが喜びに変わることもすべてはクリーニングするために体験させられているのだな、と改めて実感しました。

今まで、くさい、重い、苦しいと蓋をするように接してしまったこの本へ、心からごめんなさいと謝ると同時に素晴らしいチャンスを与えてくれたこと、美しく愛しい存在としてまた現れてくれたことに感謝します。

そして、改めて、この本が生まれるに当たって関わったすべての人、場所、ツール、時。また、すでに読んでくださっている皆様に心から、ありがとうございます。

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そして、この本の中で、素晴らしいシェアをしてくださっているうちのお一人、ヘアメイクアーティストの市川土筆さんに先週末、髪の毛を切ってもらいました。

実は先週末と今週の土日、期間限定で六本木にあるSITHホ・オポノポノアジア事務局で出張ヘアサロンをされているのです。近いしわたしが子連れなのでナイスタイミング!とわたしも約半年ぶりに髪を切ってもらったのですが、とても気持ちが良かったので、シェアさせていただきます。

事務局へは普段、仕事をしに行っているのですが、日曜日、普段座ったことのない位置に座り、携帯も切り、潮千穂さんというアーティストの方が水の中をテーマに創られた版画の作品を静かに見つめる一時間は静寂で心地よいものでした。

ご存知の方も多いと思いますが、市川さんは数々の素晴らしい作品の中で著名な方々のヘアメイクをされており、とても変わっている(とわたしは体験しています!)と思うのですが、ハートの温かい方です。

量がとても多くて、しかも癖っ毛、南国で暮らしていると、格闘することも多いわたしの髪の毛が終わる頃には愛おしい!と思っているのも市川さんマジック。

もしご興味のある方はぜひこの限定の機会に体験してみてください。

http://www.ichikawatsukushi.com/

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市川さんとその道具たち。クリーニングされているのかすべてのアイテムがキラキラと可愛かったです。

不定期更新ですが、ブログを訪れてくださる方々、ありがとうございます!

みなさまに素晴らしい春が訪れますように。

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アイリーン

 

2015年の終わりに 出産

2015年11月5日に台湾で娘を出産しました。ブログやメールなどでお祝いのメッセージをいただきありがとうございました。

出産してから二ヶ月近く経って、ようやく、ブログを書こうと思える心境になりました。トホホ。。。

出産体験、とにかくものすごかった。今もまだ体の一部がきちんと閉じた感じがしていません。娘と出会えたことはそれはそれは嬉しくて、楽しくて、ありがたいきもちなのですが、どんな感情なのか把握できないくらいのものなので、まとめようとすると正直頭がぼーっとなってしまいます。

病院での体験、痛み、生まれたての生き物に命を委ねられることへの嬉しさや怖れ、生々しい出来事も一刻一刻時間が過ぎる中で変化していきますが、そんなとき、特に入院中などは結構パニックになり、それを抑えようと、今まで見聞きした、あらゆるドラマや本などの美談や感動話に自分の気持ちを沿わせようとすると、一瞬は落ち着くのですが、なんだかその後に妙に空いというか、寂しい気持ちになりました。これがマタニティーブルーなのでしょうか。

そんなとき、ああこれこそ今までわたしがウニヒピリにしてきたことだと、強く深く感じることになります。つまり、ウニヒピリが見せてくれることを慌てて、頭で捉えられる、納得できるようなお話に差し替えて満足しようとする、ということをわたしは今まで様々な人生のポイントの中でしてきたということ。そうすると、その一瞬は落ち着きを取り戻せているような気もするけれど、その落とし前はきっちりとつきます。さらなる痛みや苦しみ(こころもからだも)そして、なによりもわたしの目の前に現れている大きな贈り物を享受できないということです。

詳しいことはいつか書くとして、わたしの出産、入院は結構トラブルが多かったのですが、その中で娘の存在がどんどん遠いものになってしまい、リズムが合わなくなるという感覚になりました。

そこでホ・オポノポノを思い出すことで、まずは自分に起きていることに責任をもとうとすることで、バランスを取り戻し、目の前にいる娘の細胞一つ一つがきらめく様子、それがわたしに何かとても大切なことを思い出させてくれるのです。

そんな大きなご褒美をクリーニングを通して、受け取れるようになっていく自分自身との出会いでもありました。

そして、今も毎日一瞬一瞬新しい体験をクリーニングし、ほんとうの自分から選択し、母親として、すべきことをするという実践をしているところです。

あまり華やかなことは書けないけれど、目の前にあるものに対し、嘘をつかず、誠実に(建前ではなく、真実を掘り起こす)、光っているほうを見つけることで、過去の方法ではなく、新しいわたしの人生を生きていくための筋肉をつけているところなのかもしれません。

2015年、この年がわたしに与えてくれた、良きこと、冴えないこと、どんなことも、ほんとうはわたしにつながる道なのだと思います。まだ手放せないことは今クリーニングして、焦らず、とにかく焦らず、祝福するようなおおらかさで2016年を迎えたいです。

このブログを訪れてくださるみなさますべてが、ほんとうの健康と喜びとともに、新しい年を迎えられることを心から祈っています。

内なる家族が鍵ですね!どこにいても誰といても!

カウントダウンは、ウニヒピリにたくさん感謝を伝える時間にしたいです❤️

平和はわたしから始まる!

2015年、ありがとう。

2016年、ようこそ!

アイリーン

 

 

臨月

Aloha! 読んでくだっているみなさま

お久しぶりです。わたしは元気です。そして今は臨月後半の妊婦です。

最後の投稿をした日から千葉でヴィッパサナー瞑想の11日間キャンプに参加し、日本で人と直接お会いする最後のお仕事をおわらせ、急遽台湾で出産することに決め、9月に台湾に戻り、いまにいたります。

コメントのお返事もまだしないままで、ごめんなさい。今日からわくわくお返ししていきたいと思います。

ヴィパッサナーはすごくよかったです。母から大昔から勧められていたのですが、まさにdevine timingで参加できました。スタッフのみなさま、他の参加者のあたたかい思いやり、言葉を一切話さないからこそ、ただただ深く受け取ることができ、それまで台湾であまりに妊婦であるのに動き回っているわたしを心配する声がすさまじかったので、反発しまくり暴走不良妊婦になっていたわたしに深く深くしみました。もともといたわりと思いやりしかもらっていなかったんだ、わたしが何かを雑にしていたから、こんな形になっていただけなんだというのがすとんと落ちて、子供のような気持ちで素直な妊婦(?)に戻るきっかけをいただきました。ほんとうにほんとうにありがとうございます!うるさいほどの虫の鳴き声、内側の声、すさまじい夢見、身体の感覚、星空、妊娠生活の中で味わえたことに感謝です。

これから始まる新しい生活のためにいろいろな身辺整理のようなものも同時に起きていました。そんなとき、必要な言葉を与えられたり、そのとき、それを聞く耳があったこととか、ぴったりの情報を人から本から映像から景色から受け取ることができるというのは、これはもう人生でほんとうにかけがえのないことで、そういうことがあってラッキーだね、はもちろんですが、それを受け取れる自分でいるには、ほんとうに日々のクリーニングによる自分の微調整が必要不可欠なのだな、ということに痛いほど気づきました。日々ウニヒピリに話かけること、何をしたいか、食べたいか、いろんな場面でこころをそちらに傾けることでこそ、日々の人生に現れるヒント、メッセージに自分をオープンにしていることが、何よりも大切なライフスキルだなと痛感する日々でした。

あと、最近ですが、せっかく台湾で出産するんだから、と妊婦お灸に行ってきました。
30分ほどの時間、お灸をすえて、静かな時間をひさしぶりに味わっていたら、
ふとKRの言葉を思い出した。

「手だって、足だって、あなたの体のどの一部もすべてアイデンティティーを持っている。
あなたの所有物である部分なんて何一つない」

そして、横たわっている自分の体を点検していると、ふと大きな感謝が湧き出ました。
妊娠に気づいてから今日まで、自分や周りの人、大いなる存在とか、自分のウニヒピリや赤ちゃんに感謝はしてきたけれど、誰よりも何も文句を言わず、底知れぬ力でこの妊娠を守って支えてきてくれたのは、わたしの体だったんだなあとすごく納得しました。
わたしがいろいろあれこれ考えて、イライラしたり不安を抱えている間にも、お腹はちゃんと徐々に膨らんできてくれたし、体のあちこちの筋肉や骨はそれぞれ情報をシェアしながら、赤ちゃんを支えられるように、しかもわたしにできるだけショックが少ないように、少しづつずれたり、動いたりしてくれていたんだなあと実感しました。
そうしたら、ここにいつもこれだけ頼り甲斐がある、素晴らしい才能を持った存在がわたしを支えてくれていることの事実に、わたしは不思議なほど励まされ、明るい気持ちが戻ってきたのです。

体ってすごい、ありがたい、っているのをまたいつのまにか頭で感じるようになっていたけれど、ほんとうにたとえ妊娠していない時でさえ、今日までずっといろんな環境でわたしがわたしでいられるように、ずっと機能し続けてきてくれたのだなあと気付き、やっと出会えた気持ちでうれしいです。

ここまで、脈略なく一気に最近のことをざざっと書きましたが、今更新しないと、ブログに復帰するチャンスを失いそうだったのでこのまま更新します!

読んでくださってありがとうございます。

POIアイリーン