月別アーカイブ: 2014年12月

パジャマのたましい

義理の両親はたまにわたしに贈り物をくれる。たいへんありがたいことで、感謝をしているのだけれど、慣れない結婚生活のストレスと一緒になって、いつしかなんだかいやになったりもしていた。

自分の父母からの愛だけでいい。彼らからのギフトしかほしくない。いつしかそんなかたくなでどうしようもない気持ちを抱えるようになっていた。

あ るとき、義母が実の娘と買い物に行った際にアイリーンにも、と買ってきてくれたダウンジャケットになんだか苦い気持ちを持った。こんなものほしくないし、 こんなことをされるとさらにこちらが気を使わなきゃいけない。面倒臭い。こういう堅い感じが本当に私は嫌で窮屈なんだ。

家にジャケットを持ち帰り、そんな理不尽な怒りが恥ずかしくて苦しくて、みじめな自分から逃げ出したくなり、完全にふさぎ込みかけたその瞬間、ふとこころの奥底からピンク色のイメージが湧いてきた。

これはなんなんだろうと不思議に思い我に返り、ただ今ある気持ちをクリーニングしてみた。
嫌な気持ち。悲しい気持ち。比較。羨ましさ。妬む気持ち。疲れとか。理不尽で理由にならないあれこれをひとつひとつ。ウニヒピリにこんなきもちがあったんだね。
苦しいね。と話しかけていった。

するとそのピンクのイメージがなんなのか、その素材や形を伴って思い出されていった。
それは、わたしが本当に小さなころに弟とお揃いで母が買って来てくれたシルクのパジャマセットだった。わたしがベビーピンクで弟のはベビーブルー。ツルツルで袖を通すとひやっとするところまで袖の淵の丸く立体的に縫われたところまで全部が思い出された。

それは単なる郷愁ではなく、ただただ愛しまれて、これを着たらきっとかわいいだろうな、気持ちよく寝られるだろうな、と美しい気持ちで願われたことのかたまりだった。

そのことを思い出すために、そんなわたしのもともとの源を思い出すために、義母からいただいたジャケットにいまはなき記憶の彼方に忘れ去られていたピンクのパジャマのたましいがとつぜんにやってきてくれたんだと思った。
「これは愛だよ!」
と、伝えにきてくれた。

ウニヒピリってやっぱりすごい。「わたしはわたし」、「ほんとうの自分」を取り戻すためにあの手この手で、そのチャンスを見せてくれる。

そのジャケットは白のとても軽いダウンジャケットなんだけれど、今では台湾の冬場に欠かせないわたしのおともです。
こころからありがたく、あたたかく着ています。

常識とか罪悪感からの感謝ではなく、クリーニングしてインスピレーションがわたしの中にもともとあった感謝を自然と戻してくれたとき、その体験やそれを通して出会う人、ものたちすべてがわたし自身への最高のギフトになってる。

ありがとうございます。

POI
Irene

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講演会のお礼。おひさしぶりです

おひさしぶりです!

11月、12月のわたしのお話会と講座にご参加くださったみなさま、改めてありがとうございました!

実際声をかけてくださった方もそうでない方も言葉以上に大変な時期であったかもしれません。そんな中、ほんの少しでも、自分のもともと思っていることを大切に扱ってみたり、誰かに答えをもらう前に自分を尊重して今の自分の声を導きだしてみようとすること。そんな目に見えないこころの働きかけこそ、自分にとってなによりもの財産だし、衰えぬ最強の筋肉になっているはず。こつこつそう生きていくと、必要な仲間はそれが人間であろうと環境であろうと、いつしかそばにいます。そう思わずにはいられません。今わたしの人生でも、それが起きています。

最近思ったことをちょっと。

私自身が感じていることだから講座でもそういうお話がでてくるのだと思いますが、自分の手に入れているもの、手に入れられていないもの、この二極でものを見がち。

例えば、なんとなく見ていた人のブログで、プライベートジェットで移動しているみたいな近況を見てうらやましさがでてくる。そこで、まず判断します。これは自分の人生であるのか、ないのか。将来ありえるのか、ありえないのか。大体はここで終わっちゃう。または、それが叶っていないことに嘆いたり、うらやんでケチをつけてみたり、もしくは怒りをバネにそこに向かってがむしゃらに働きかけるとか。

どれも悪くないし、きっとエネルギーにもなるけれど(わたしもこういうのがエネルギー源でした)、大体、この二極で現象を捉えて、次に進んじゃう。でも、ホ・オポノポノでできることってここからだ。まずこんなことに目がいって、反応したこと、その間に動くいろんな気持ちをお掃除することが一番の自分の仕事。だから、ある、ない、結婚している、していない、恋人がいる、いない、という二極を選んでいるだけじゃない。

この間で起きる自分のこころ動きをホ・オポノポノで扱うことは、自分を慰め小さく扱っていることではなく、実はもっと大きく現実に外側に動いていること。二極の片方でいるところから見えてくることをクリーニングすると、もう片方を扱っている。ファッションに興味があるけれど、パン屋さんで働いているから、ファッションの世界とは一切関係がないということではない。こっち側を扱っていることで、コチラ側を扱っている、という実はものすごくユニバーサルな行動を現実に起こしている気がする。そうしていくことで、今まで薄目で見ていたあれこれをちゃんと現実にもどしていくことで、やっとこさ、今が動く、そして次の瞬間も次の瞬間も。そうして、今の「わたし」に開かれている事柄に気づき、足を踏み入れることができる。

あることとないことという選り分けで、あまりにも暴力的に日々の自分のことを扱ってしまいがちだけれど、そういうことを小さくクリーニングしていけることで、ハートはどんどん開かれていく。開かれている人に、ひとも環境も顔を向けてくれるようになると、モーナは言っていたそうです。

で、実際プライベートジェットに乗りたいのか自分?!とさわやかに自分にツッコミを入れられるわけです。いや〜、やっぱり乗りたいね〜!だっていいし。でも、クリーニングされたあとの夢は自分にあたたかいエールと送ってくれる歌のようだ。こんなことを続けていく間に生きていたらひょんなことから一度はプライベートジェットに乗ることだってあるかもしれないし、ないかもしれないし!

大切にしたいことは、何をしていても、誰かといても1人でも、自分の中に澱みを残さず、クリーニングしてこざっぱりとしていくこと。よし!

最後に、今回KR女史の沖縄講演会の後によった伊是名島の写真を紹介させてください。

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突然大きな自然の中に身を置くと、そこに心身ともに実際にいられるまで時間が必要なときってありますよね。「ああ自然!」と考えながら、誰も見ていないのに、なんだかおどおどしちゃったり。

ヨガを最近しているのですが、先生に一つ一つの筋肉を伸ばすことに時間をかけるのを恐れないでと言われました。こうのびる、こんな風に縮んでいた、ひとつひとつを目撃しながら感じながら、それをしっかり受け取れる器が自分にはある。

ばたばたとせわしないからこそ、ひっそりそこにいてみて、ちょっと時間をかけて、こころを見て行ったり、からだの調子を味わってみたり、そこにひとつひとつクリーニングしていくことができる。

そうしていると、調和されかけている自分をちょっと見つけられたり、漁るように自然を眺めるところから、もともと一部だったことにふと気づいたり。

良い時間を過ごせました!

ありがたや!

 

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ウミガメもいたよ!

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こよなく愛する作家よしもとばななさんの最新刊「鳥たち」、読んでいて、正直しんどかった9月の痛んだこころをまるでさすられているような体験をしました。この中の一節に「小さな声で語られる物語だっていいじゃないか」ということばがあります。クリーニングしていて、すごく励まされることばだと思います。どうしても結果を気にして、クリーニングしていて大当たりを出したい、成果を出して、人生変えたいというのももちろん記憶だけれど、こつこつ紡いでいるわたしたちのおそうじから見えてくる道で現れかけていることを見失わないでいたい。わたしがここでようやく手放せた記憶は宇宙全体から見たら、小さいどころか、ずっとのどにひっかかっていた魚の骨が流れることくらいすっきりすることなのかもしれないんだ。

久しぶりにこのブログに触れたせいか、相変わらずとりとめなくなってしまいました。またのびのびこの場でもやっていきたいです。

最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます!

PEACE begins with me.

Irene