月別アーカイブ: 2017年7月

ソウルの朝、バスの中

韓国でクラスがあり、母と週末一緒に過ごした。

その前の週に台湾でもクラスがあって、母はそこにも来ていたので、約二週間、久しぶりに毎日をともに過ごした。

日本で会うときもお互い仕事をしていて、ちゃんと話すのは仕事終わりか週末ちょこっと。

同じ場所で寝泊まりして、台湾ではわたしの夫と娘も一緒で、距離感がぐっと近い時間がこれだけあったのはほんとうに久しぶり。

たくさん喧嘩した。

うちの喧嘩は本気の喧嘩。

徹底的に心が揺れ動かされ、傷つけ、傷つき、容赦無くどんどん言って、ちょっともうお互いギブアップ、の手前でようやくクリーニングを思い出して、ちょっとクリーニング休憩を持つ。

その間になんか他の楽しいことが割り込んで来てくれるか、ちょっと苦いけど、まあ家族だからその重さと一緒にでもいられるくらいの愛はある。

 

これだけお互い、ホ・オポノポノのそばにいる身なのに、進歩したのは、クリーニング休憩が最後の最後であるということくらい。

親子だからしょうがないと思ってがんがんしてきた喧嘩のあとで自分の気持ちをケアすることくらい。  

帰りは別々の飛行機で、当分出張が続く母と次に会える予定は未定。
 わたしの方が先の飛行機で、朝早く、ホテルの前から出発するインチョン空港に向かうリムジンバスの見送りに母は来てくれた。

ちょっとハグして、またね、気をつけてね、早く部屋に戻ってちょっとでも寝なよ、と言ったので、母はバスが出発する前に、またホテルに戻って行った。

私はバスの窓からその背中を見送りながら、しばらくじっとしていた。リラックスしながら、でも流れ始めた色んな気持ちをただサラサラとクリーニングしていくことにした。

 

やっぱり寂しいこと、

ありがとう、

楽しかったな、

でも正直しんどかったな、

たくさん傷ついた、

許せないこともある、

でも母が愛しくてたまらない、

幸せを願わずにはいられない、

もっと優しくしてあげればよかった、

もっと労ったらよかった、

涙もちょっと出てくる、

もっと話すときはこころをこめて携帯なんて置いておけばよかった、

あれもこれもかけがえのないことだった、

クラスで会った参加者の方々、アシスタントのみなさんとも会えたこと幸せだった、もっともっと大切に時間を過ごせばよかった、

会っている間は会っていることだけを思ってあれこれと他のことはあとで考えたりすればよかった。

どうしたって別のことを考えたりやったりしてしまう自分がうんと残念な人に思えた。

いつまた会えるか、いつまたあんな風に一緒に居られるか、わからないのに。

じつは本当に尊い時間なのに。

憎くても、疲れてても、今は今しかないのに。

そんなことを思い出してクリーニング、

後悔もクリーニング、

好きの気持ちが出て来て、

でも感情が溢れてくると、ジェットコースターが落ちていくときのふわっとした感じになってきて心地悪いから、また携帯を手にして、帰りの飛行機の時間を確認してみたり、カバンの中身の確認したりしてみようという気になるんだけれど、それは今は一旦しないで、ただクリーニングすることにした。

心地悪いから、

ばかばかしいと思ったり、

苦しいから、

忙しくしてみたり、

それもすべて今はバスの中でクリーニングしてみよう。

母が戻って行ったホテルの玄関のところにある水が流れるオブジェがどう見ても洗濯板にしか見えない、すでに硬いホテルのベッドが懐かしい、今すぐ戻って母の寝息を聞きながらうたた寝したい、

 

バスが出発して見えてくるまだ車の少ない早朝のソウル、自分が住んで居ないから、いろいろなことが目新しく、楽しそうで、ちょっとそこに暮らす人々を羨ましいような特別に思う気持ち、

これから戻る台北でのわたしの家族との暮らしがちょっと重苦しく、かったるく、でもなにがなんでも早く取り戻したい、早く会ってただただくっついていたい、そんなめちゃくちゃな気持ち、

クリーニングしていくと、さらさらさらさら、心地悪いものも感傷的なものも、とにかく色んな気持ちが流れていく、それがなんなのか、なんの意味があるのか、わからないけれど、クリーニングしていくと、ふと、全てが美しくて寂しくて、ありがたい。

私とウニヒピリでぎゅっと抱き合っていないと、抱き合っていたいよ、とどうしようもなく思って、目には見えないから、だからクリーニングを通して自分のウニヒピリに優しくあろうと思う瞬間が訪れる。

 

私の本当の想いは母にはなかなか伝わらない。なんで母があんなこと言ったりするのかもわからない。記憶が本当にたくさんで本当に何が起きているのかはわからないのだから当然だ。だからこそ、この限られた時間の中で、できるだけクリーニングして、記憶から本当の自分を、今を、私たちがここに生きる知恵を掘り起こし、愛する人に伝えられますように。愛する人たちの本当の声が聞こえる自分でありますように。

今までここに書いたこと、あまりにも取り止めがなさすぎて、気持ちがだらだらで、当分読み返したくない。

 

でも、もし読み返す時がきたとしたら、その時は、また、今バスの椅子に座っている自分のように、ただそのときのことを自然と表面に浮かんでくる気持ちをさらさらと力を抜いてクリーニングしたい。
強い気持ちも、小さなささやかなことも、選ばないでクリーニングするこの時間は、決して心地良いだけではないけれど、ひょこんと無力な自分が何か大きな偉大なものから触れられている、そんな気がするのです。


ありがとうございます。
POI

アイリーン

夢の話

結婚してから、義理の父を始め新しい家族にあまり気持ちのよくない感情を持ち続けていた。

苦手、会うと疲れる、苛立つ。クリーニングしてもクリーニングしても、そんなモヤモヤする気持ちをより一層、まるで やっぱりそうだそうだ!と正当化してくれるような出来事も実際に続いた。

 

さすが、結婚はクリーニングをするためにする、とヒューレン博士が言っていただけあるなあ、というような自分にとって傷つくこと、いやなことが義理の家族を通してなんどもなんども私自身の元に現れた。

クリーニングしてもしても、嫌な気持ちは無くならないのでさすがに疲れてきたし、何か間違っているのかな?と思考のループに何度も陥った。それでも、家族になってしまったんだから、逃げるわけにもいかないので、そして他になにをしたらいいかもわからないので、今までとにかくクリーニングを続けてきた。

 

先週末、夢を見た。

オーストラリアにいて、義理の両親、義理妹夫婦、夫と私がレストランのテラス席でお茶をしながら何かを話していた。そして父が突然、ある重大発表をして、家族みんな驚きつつ喜んでいた。

 

そこで私は怒りが爆発した。義父の発表内容が私がずっと恐れてきたことだったのだ。夢の中で私はとても率直で、さらに感情的で、涙をためながら、「そんなことはして欲しくない!」と一生懸命訴えていた。そんな私の滅茶苦茶な厳しい対応に義理兄弟は怒って席を外し、義理の母もショックで口がきけず、父は厳しい顔でただ聞いてくれていた。夫は隣でとにかくそこに一緒にいようと努めているのが精一杯というのがひしひしと感じた。夢の中だけれど、ものすごく感情的に率直に普段なら言えないことを言っている私に、夢を見ている私がドキドキするほどだった。

 

でも、その中でも一番驚いたのは、どんどん感情的になっていく一方で、私の中で父や妹、新しく家族になった彼らの誰一人に対しても、嫌いだという感情が、たったの一度も湧いてこなかったということだった。見ていて、あちゃちゃ~というくらい、怒ったりしているのだけれど、だからと言って、たったの一度も、相手に対しての嫌悪感が湧いてこなかった。

 

そして夢から醒めた時には、とてもスッキリとしていた。

突如、みんなが大好き!ハッピー!早く会いたい!となったわけでは決してないけれど、疑念が晴れたような、そんなすっきりとした気持ちに満ちていた自分に驚かされた。

 

ホ・オポノポノを始めてから以前にも増して夢を見るようになった。夢の中ではいつも、自分の隠しきれない気持ちがありありとストーリー仕立てで展開されたり、夢は私にとって、ウニヒピリが見せてくれている深い記憶の湖のような場所だ。

 

いつも会うたびに疲れたり、嫌な気持ちになるから、本当に嫌いなんだと思っていた。新しい家族を嫌いってとても悲しいなとさえ思っていた。だからこそ、夢の中で、私が日頃なかなかスッキリと心を開くことができない相手に、夢の中でも早速怒ったり色々しちゃっているのだけれど、それでも相手を憎しんだり、嫌な気持ちにさせてやろうといういじわるな気持ちは一滴も出てこなかったのは、大きな救いのような、希望そのものだった。

 

ああ、クリーニングされている、正しい方向にちゃんといる。

 

クリーニングして、このかた私が気づいていないだけかもしれないけれど、大きな変化のなかった義理家族との間で、クリーニングされるべきことはクリーニングされ、私らしく、この人生の中で新しいこの家族と進んでいるのかもしれない。とはっきりと感じた。

 

クリーニングをしなければ、記憶が指し示した感情が私である、と本当の自分をいつまでも生きることはなかなか難しい。記憶こそが私で、記憶こそが私と相手の関係を指し示す絶対のジョウギなのだと、ついつい勘違いし、その中をぐるぐるとさまよってしまいがち。

 

それでも、クリーニングしていれば、こうして夢の中で、現れる感情は記憶で、私と相手はそれぞれ限りなくゼロに戻っていけるかもよ、本来のつながりがあるかもよ、というメッセージ、そしてそちらの方が、記憶が今までもっともらしく見せてくれた現実よりもはるかの現実的だと、急に時差ボケからさめたような気持ちにさせてくれることもあるんだ。

 

無理やり決めつけた愛や尊敬よりも、今、私が義父に感じている深い絆、尊敬の種、妹にふとした時にわく愛おしい気持ちは、私を限りなく自由にさせてくれる。

 

相変わらず、びっくり仰天なこと、むかっとスイッチはあるけれど、あの夢以来、新しい道がより一層はっきりと、そして、なんだか実際に、私への風当たりがだいぶだいぶマイルドになっている気がする!

Thank you.

I love you.

POI
アイリーン