月別アーカイブ: 2014年4月

おとといから台湾です。

昨日台北は雨だった。

マンダリンの授業を受けるために師範大学に向かう道すがら永康街(ディンタイフォンや骨董屋が有名な小さな街)を抜けていくのだけれど、遅刻寸前で傘をさしながら、今思うと荒々しく歩いていた。足はあっという間に濡れてしまって、疲れも溜まっていたからイライラしていた。

そんなとき、小さな交差点の角で雨宿りしながら同級生らしきグループと話している若い女の子の肩にわたしの傘がぶつかってしまった。

そのまま行ってしまおうかと思ったけど、すぐに後ろを振り返り「ごめんなさい」と言った。  振り返った初めのほんの一瞬その子はいやそうな顔をしたのだけれど、それは魔法のように次の瞬間まろやかな控えめだけれどとても優しい顔で「はい」と微笑んでくれた。

この瞬間、もしもあの交差点のコーナーの道にこころがあって、声があるなら、なんと言っただろう。雨で全部がぐちゃぐちゃしていて、混んでいて、みんなせかせかしているその瞬間、全然知らない者同士が許し合えて、笑顔が咲いたその瞬間、あの場所もなんだかきらめいたように思うのだ。

それこそ過去にあの場所で何があったのかわからない。事件が起きたかもしれないし、いのちが損なわれたことのあるかもしれない。周りの人に気づかれなくても、誰かの心の中に絶望があれば、それをきっと道もしっかりと受け取るだろう。でも、この世の中でニュースにはならないそんな小さな出来事こそが、今日の私を創り、もしかしたらあの若い優しい女性がさらにさらに美しさを表現できるきっかけになっているのかもしれない。

あの道がハッピーならば、あの道を通る人はハッピーになるだろう。それこそが、ヒューレン博士がわたしにゆっくりゆっくり見せてくれた世の美しさの一部なんだ。

あの若い学生のような女性が許すことを選択せず、または無視せずともこころの中で怒りをとどめたまま小さく呪うようなことをしていたならば、わたしがせかせか病に取り憑かれ、謝ることも後ろを振り返ることもしなければ、あの小さな奇跡(わたしにとっては奇跡です)は目にすることも起こすこともできなかった。

どの瞬間もほんとうに冒険だ。ロードオブザリングのように、自分のこころの中にある小さなごろごろしたものを手放すかそれとも無視して黒い固まりにさせていくのか、いつも選択をしている。

いつかの本番のために生きて来たように思えたけれど、ヒューレン博士と過ごした時間の中で、今しかない、いつの瞬間も、この一瞬こそが本番で本物なんだと体験させてもらった。

そんなことを思い出した昨日でした。

 

無事に台湾に戻りました!                                今回の日本帰国はそれはまあ今までわたしが避けてきたこととあれもこれも向き合わされるものすごくクリーニングを実感した時間でした。圧倒されていて、ここで何かを書くことなんてできず、講演会や講座に参加してくださったみなさまにお礼もまだ書けていません。また、改めて書かせていただきますが、ほんとうにいっしょに時間を過ごしてくださった皆様、時間を共に過ごしていなくても、こころにとどめてくださった方や思い出してクリーニングをしてくださったすべてのみなさまにこころから、ほんとうにありがとうございます。                    どんなに怖くてもちゃんと見て、実行していくと、もう目が覚めます。

またゆっくり日本のことも書きたいです。

桜や春めいた街のすべてが美しかったですね!

 

ありがとうございます。

POI
アイリーン