月別アーカイブ: 2016年3月

4/9(土)トークイベントのお知らせ 

 

4/9〜15の間に代官山で開催される『g:enarate』というイベントで、初日の対談トークイベントに参加させていただくことになりました。一時間半という短い対談講演ですが、ご興味がある方はぜひお越しください。以前開催したフリマイベントからさらに広がり、生まれた企画(?)だそうで、この流れに素直に、クリーニングしながら、参加させていただきます。台湾に戻る直前のイベントなのですが、お会いできることを楽しみにしています。

4/9 (土)17:30〜 お申し込み詳細はコチラから。

http://peatix.com/event/160207

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たまに、一日の間に「容赦ないな!」と思うくらい、心の負担になる出来事が度重なることがある。そんな時、心も体もへとへとで、視界がずずずっと、狭く、10トーンくらい色彩も落ちて、もちろん孤独な気持ちでじっとしているしかどうしようもない気持ちになる。

昔はどうしていただろう、とにかく一日を終えることだけを見つめていたのか、それとも、暗さを上書きできるようなアッパーな出来事を無理やり探してへとへとになっていたのか。

今はホ・オポノポノを知って、どんな状態でも、クリーニングは一応しておこう、というくらいにはなった。そんな自分がたくましい気もするし、進化していないようでも、ある。

つい先日、先に書いたような精神的にボディーブローをもろに受け続けるような日があって(誰も直接的には悪くないし、たまたま重なっちゃうような日こそ辛い)、今日はこんな感じか、昔からこんな日ってあったなあ、今も昔もあまり変わらないなあ。ととぼとぼ、心の中でウニヒピリに話かけつつ、クリーニングしつつ、娘を連れて会社から家に帰ろうとしていたそんなとき、ふと、あるビルの一階の窓に大きなポスターを見つけた。とても素敵な北海道のボタニカルアートの展覧会のポスターだった。真正面で見たこともない大きな花びらや茎が詳細に描かれていて、一瞬にして、閉じていた心がばっと開いたような気がした。呼吸が深くなり、視界も開き、足もしっかりして、今日しかない、私のコンディションをとても愛おしく感じた。娘といつかこのお花を北海道に観に行きたいな、と未来さえもキラッと光り、わたし達はしっかりと帰宅した。

そして気がついた。ホ・オポノポノをするようになって、いろんなことが起きたけれど、とてもありがたいのは、こんなふうに、時折、ぐっと記憶の景色に入り込んでしまったときも、ふと、ディヴィニティーの案配、あしあとを感じられるようになったことだ。あるときは、いつも目を合わして、会釈する不動産屋さんのおじいさんが、太いしっかりした声で「お元気ですか?」と声をかけてくれたことでまた自分に持ち上げてもらったこともあった。それは、他にも、たまたま開いた本のページの数行かもしれないし、駅で目に入った光景かもしれない。友達と話していてふと言われた一言かもしれないし、今日の空の雲の形かもしれない。たまたま立ち寄ったラーメンやさんのスープの温かさかもしれないし、カフェで耳に入ってきた音楽のリズムかもしれない。クリーニングすればするほど、たくさんのクリーニングできる記憶と同じくらい、ちゃんと自分でいられることを許されている、守られている、そのしるしのようなものに出会わされていることへの気づきも増えている。このことは、わたしにとって本当にありがたいこと、そしてそれを気づかせてくれるウニヒピリにこころから感謝できることが、とても大切なことだ。

まだ若い学生時代、吉本ばななさんの短編の作品で「ともちゃんの幸せ」というものに、当時とてもとても救われたのだけれど、それを今、ホ・オポノポノを通して、頭の世界ではなく、リアルな世界の中で体験できるようになったのが最大のご褒美だ。

私は、私たちは、どんなときだって、ゼロである大きな手のひらに包まれ、自由を与えられている。

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たまたま通りかかった乃木神社で見つけた桜。娘にとっては初桜。ゆっくり娘の目線で見てみたら、桜だから綺麗なんじゃなくて、ただ、白く光った美しい存在が風に揺られている、でした。そして、その周りも、私たちを包み込んでいる空気もとても綺麗で、幸せになりました。

Divinity is everywhere and nowhere.

ヒューレン博士がことあるごとにおっしゃっているフレーズです。

「ディヴィニティーはどこにでもいるし、どこにもいない」

クリーニングするか、しないか、インスピレーションを見るか、記憶を見るか。私はいつでも自由を与えられている。

いつも、記憶からの判断をクリーニングして、一瞬一瞬を見て、聞いて、食べて、生きていきたいです。

素晴らしい春のときを!

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アイリーン

 

 

加島祥造さん

加島祥造さんが去年の12月25日にお亡くなりになりました。

詩人、アメリカ文学研究科、タオイストと、加島先生が遺した素晴らしい作品たちから、いろいろな名前を付けられるけれど、わたしにとって、敬愛するアーティストです。

先生の訃報を受け取ったとき、わたしはまだ台湾にいて、今は日本ですが、長距離バスの移動がまだタイミングではないため、お亡くなりになってから伺うことはできていませんが、今はもう会えない寂しさよりも、ギフトのように巡ってきた先生の出会いの中で与えられた数々の美しい出来事がこころの中で豊かに育っていく気配を感じています。

先生が暮らしていた長野の伊那谷に初めて伺ったのは、イハレアカラ・ヒューレン博士と一緒でした。ある方のご紹介で、ヒューレン博士に加島先生を紹介したい!という目的でした。印象的だったのは、ヒューレン博士はあの通り、誰にあっても自然と対峙するような、何も変わらない感じでただ加島先生と数時間一緒に、その素晴らしいご自宅、質素なんだけれど、要所に加島さんのアーティストウェイが散らばり、お庭ではいのちが開きたいように開き、在りたいようにただ在る、という様子を楽しんでいたのだと思います。

途中、加島先生が、すでに読んでいた、ヒューレン博士の本を老子の発想に置き換えて、潜在意識はこうで、ああで、この隠と陽がああで、とまるで少年のように、流暢な英語で博士に話す時間があったのですが、そんなときもヒューレン博士はただニコニコとクリーニングをしながら、返事になっているのかなっていないのかわからないような返事をたまにしているのですが、そのお二人の様子がほんとうに無邪気であったことが今でもこころの中で鮮明に思い出されます。

加島先生は少年のように、ただそこにいる人を、ありのままに興味深くながめ、何かあれば、ストレートに質問をし、『求めない』を読んだ高校時代から先生のファンであったわたしはそのとき付き人風を装って一緒に伺ったのですが、そんなわたしもその時間場所に自然と含んでくださってとてもとても嬉しかったです。「またいつでも遊びにいらっしゃい」と言ってくださいました。

長距離バスで帰ったのですが、帰り際、憧れの加島先生と会えて嬉しい気持ちをクリーニングしていたわたしにヒューレン博士がこう言いました。

「クリーニングして、縁がまだあると思うなら、また訪ねたらいいんじゃないかな?あくまでも、クリーニングをしにいくんだよ」

そうして、わたしは年に数回、伊那谷に訪ねるようになりました。新宿から高速バスで約4時間ほどなのですが、時間を見つけては、日帰り、またはお手伝いさんをお手伝いするという名目で、その素敵な山小屋に他のゲストと一緒に何度か泊まらせてもいただきました。

先生がまだ立って歩かれていたときは、一緒に伊那谷をお散歩に出かけたり、栗を拾ったり、東京からのお土産をお茶と一緒に美味しく食べたり、小山を超えておそばを食べに行ったり、わたしの何かを埋めてくれるような、ほんとうにきれいな時間をたくさん与えてもらいました。

あるとき、ご自宅の整理をお手伝いしていたとき、引き戸の中に先生が作った花瓶が見つかりました。埃をかぶっていたのですが、洗って茶の間に置いてみたら、

「これに生ける花を外から見つけておいで」とおっしゃいました。

生花なんて習ったことないし、いつも先生のご自宅には芸術家や作家さん、いろんなプロの方が出入りしていて、ちょうどその日も何かと来客が多い日で、いつの間にか少し萎縮していたわたしは、ええ〜、そんな大役、無理無理!と内心思って躊躇していると、そんなわたしに気づいたのか、先生に花切りバサミを手渡され、

「あなたが見つけてくれた花瓶に挿したい花を探してくれれば、それでいいんだよ」

と言い、わたしはお庭に出て行きました。先にも書いたように、整えられたガーデンではないのだけれど、加島先生のお庭は外の山と一体になるようで、でも、加島先生の暮らしを少し守りながら華やかさを与えるようにまるで、自然が意思を持って動いている、そんな不思議で絶妙なバランスで空間が成り立っているのです。

わたしは早速クリーニングしながら、先生のお家に入りたいですか?ハサミで切ってもいいですか?と話し掛けつつ、お花をいくつか選んで、「アイスブルー」と言って切っていきました。そのとき、とても頭はクリアな状態で、手がさらさらと動いていました。このくらいでいいかな?とやめようと思ったとき、ふと頭に「いやもっと華やかにしたほうがいい」と考えがよぎり、もう一本切ることにしました。

そこで、終わりにして、家に戻ろうと、振り返ると、縁側に先生が足をぶらぶらさせながら、こちらを見ていたのに気がつきました。

「その最後の一本はどうして採ったの?」

いつから見ていたのか、先生はそんなことを言いました。答えに困っていたわたしに先生は続けてこう言いました。

「人はすぐに意識に溺れちゃうんだね。あなたが生き生きと自然と関わるその流れを皆見ていたのに、意識がそれを壊しちゃうこともあるんだね」

お家に戻って、花瓶に採ったお花を生けてみると、やはり最後の一本が余る、というか、バランスではなかったのだと気付きました。わたしが最後に見えたエゴ、意識、つまり記憶をそこでただクリーニングするか、ただそこに溺れてしまうかでこんなに現実が変わるんだ、と些細なことではあるけれど、すごく実感する体験でした。

結局、最後の一本は花瓶には活けず、東京に持ち帰り、家の一輪挿しに入れて、当分の間、水切りをしながら、その体験をクリーニングしました。

交流が続く中、わたしにもいろいろな人生の転機が訪れ、台湾に行くことになったとき、そのご報告をしに行ったときのこと、先生のご自宅には手作りの茶室があり、その中で絵をお描きになったりもするのですが、その日は突然先生が思いつきで、お茶をしましょう!と茶室に案内してくれました。

「僕は流派が苦手なの。だから、全部自前だよ、バカにしちゃあいけないよ」と言いながら、手早くお茶をたて始めてくれました。わたしは正座しながら、先生がたててくれた抹茶を飲みながら、すごく心が落ち着いて、ああ、日本って最高〜、と満足していると先生がまたボソボソっとわたしに話しかけました。

「どこに行っても、新しい場所でも、お茶をたてればいいんだよ、ただお茶をたてつづけていればいいの。まずは一人でね。それでね、お茶をたてていたら、いつかちゃんと友達ができるんだよ。真の友達ができるんだよ。でも、まずはあなたが一人でお茶をたてなくちゃいけないの」

茶器もないし、無精なわたしが台湾でお茶なんて、と思いましたが、ふと、ああ、これは茶道のことをただ言っているのではないのだなとお茶をたてている先生の背中を見ながらこころにメッセージが落ちてきました。

ほんとうに一人になったとき、そこに愛を取り戻したとき、つまり内なる家族が一つになったとき、外側でほんとうの友人、家族と出会うことができる、わたしがホ・オポノポノで出会った真理を先生は生き、それを伝えようとしてくれているのだ、と気付きました。

台湾に行って、すさまじい勢いで慣れない生活を落ち着かせ、友達にも恵まれ、夫にも出会い、家族も作ったつもりになっていたけれど、どこかでいつも寂しくて、その寂しさを隠す度に、いつのまにかひねくれていた今のわたしが思い出すべきことは先生のたててくれたお茶です。東京にいようと、台湾にいようと、夢の旅先にいようと、お茶を一人でたてることをこれからはやっていきたいな。

最後に先生とお会いしたのは、ご自宅で倒れられたと聞いて、バスに飛び乗って向かった伊那谷の病院でした。先生が生涯愛したバリに、その頃わたしは生まれて初めて行って、とても綺麗な配色のバリの生地を先生にと買っていたので、それを持って行きました。先生は麻痺を起こしていて、お話することができませんでしたが、生地を見せると喜ばれて、病室のの掛け布団の上にかけてみました。そのときも、わたしのかけた位置が少し違っていたらしく、微妙に右にずらせと指示をうけ、右にずらすととても満足されたお顔を見せてくれました。美しいことを真に愛する人は、物や時間、場所のアイデンティティーの声を聞ける人なのだと思います。先生はまさしくそんな方でした。

先生から教わったこと、いただいた素晴らしい叡智がほんとうに無限にあります。わたしは、それを大事に自分の中で育てて、先生への想いをクリーニングし、感謝し、わたしを生きていきたいです。

数年前ですが、先生の未発表なまま、お家に散らばっていた絵を整理していて、これはホ・オポノポノのオフィスに来ていただいた方々も喜ぶのではないかというものをいくつか集めて、東京に持ち帰らせてもらい、展示していたことがあります。写真ですが、このブログを訪れていただいた方にも見てもらいたいので、添付します。(許可をいただいています)

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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アイリーン

 

大阪ベーシック1クラスへ

先週末開催された大阪ベーシック1クラスに娘と一緒に参加しました。受講生としては、日本で初めて開催されたクラス以来の約9年ぶりの参加でした。

それはそれは貴重な体験となりました。同じマニュアルを使っているのに、なぜこんなに毎回新しい体験なんだろう。娘がいたから、いえ、それだけではありません。それだけ、わたしが記憶を持っているからなんだと思う。クラスに参加する度に消去され、またその奥にあった記憶が顔を出し、その記憶を消去しているそのプロセスは一見途方もなく見えるけれど、それだけ私たちがどんなときもクリーニングによってリフレッシュできるということなんだと実感しました。

クラスはいつでも内なる家族と深くつながることのできる、HOME COMING HOME. わたしにとって神聖な場所です。去年までは知らなかった娘と一緒に参加して、とても不思議な気がしたけれど、講師やスタッフ、そして何よりも参加されている方のクリーニングのおかげで、とても穏やかな娘でした。

何人もの方に優しく声をかけていただき、クラス途中、何度か声を出している娘とわたしの珍道中をただクリーニングして見守ってくださった皆様のやさしさ、あたたかさ、光のようなものがまだ、わたしの内側に残っていて、このvibrationを子育ての中でいつまでも響かせていけたらな、と思っています。

ブログのコメントにも、ほんとうにほんとうに励まされています。ひとに優しい言葉をかけるというのは、実はものすごく厳しい作業というか、自分の何かを分け与えているわけなのだな、とデジタルなコミュニケーションなのに、ものすごく、生のあたたかさを感じています。ほんとうにクリーニングを真剣に実践されている方は、すごい。言葉にはまだまとまりませんが、とてもとても感謝しています。

質問に直接答えていないものもいくつかありますが、クリーニングしながら、今のわたしのベストでシェアしていきたいと思っています。すばらしいチャンスをありがとうございます。

大阪、ごはんもおいしくて、なんだか活気付いていて、すごくよかったです。大好物のたこ焼き、今回は一回しか食べられなかったけれど、串とかにもチャレンジできて、エネルギーチャージできました!

 

実は縁があって、フリーマーケットに参加させてもらうことになりました。このお話はおいおい書きたいのですが、わたしの中で変化があるとき、それは外でも起きることってよくありませんか?今回はまさしく弟や母、伯母にまで起きていて、母は母で大整理(こころだけじゃなくて、ほんとうの、家とか部屋!)中です。もう、尋常じゃないほどのクリーニングをしていたのですが、実際に手放したり整理している間に、そのものがまだその役目を活かせる機会がないかな?と思っていた矢先、素敵な方々とひょんひょんとすごいスピードで一緒にフリーマーケットをすることになったのです。

それが今週の土曜、つまり、明日あります。

わたしは弟と出店しますが、私たちの出品はともかく、美容、ファッション、カルチャーでご活躍中の方々の出品がきっとすごいと思います。ご興味のある方はぜひ明日、お立ち寄りください。

In Bloom Bazaar

日時:2016/3/12 土曜 11:00~16:00
場所:http://whateverworks.studio/
出品者:Kazuko Hayasaka,Aki Shimomura,Irene Taira,Hiromi Kani(skinware),Raw waR(Mie Takahashi),H&N Wine Japan(Mariko Honma),Girlin'(Sayaka Umezawa,Sumie Mishima,Sonoko Iwamoto & Kim Hayeon),Aya Watada and more

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それは、ただ外側の喜びを満たすためだけの買い物じゃない。ファッション、ビューティー、アート、マインドフルネスを通して自分を表現し続けている女性たちが、ひとつひとつ国内外から集めた、より人生を花のように咲かせるためのアイテムたちに出会える、一日限りの特別なフリーマーケット。
あなたを今、開かせるのは、一枚のシャツかもしれないし、今まで着たことのなかった色のセーターかもしれない。初めて見る形のマグカップかもしれないし、夢のような香りのキャンドルかもしれない。
希少なグルジアのナチュラルワインをグラスでご提供、おつまみには巧みなシーズニングで深い味わいのローフードスナックも。お気軽に遊びに来てください。お待ちしています!

 

今この瞬間、耳にする音、目にする景色、痛む心、舞い上がる気持ち、一つ一つをクリーニングして、本当の自分をコツコツ生きる、そこにつながることを選択する、地味な作業だけれど、『平和はわたしからはじまる』をしっかり生きていきたいです。大きな出来事があるときこそ、自分に戻る。

ありがとうございます。

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アイリーン