かれこれ10年以上前のことです。私がホ・オポノポノを始めたばかりの頃、ひょんな成行で母とHISの格安パッケージツアーのイタリア行きを申し込んで、弾丸イタリア横断ツアーに行った時のこと。
ヴェネツィアのどこか真ん中に噴水があって、古い寺院の中央の中庭みたいなところ。
ジェラートを食べながら、おそらく休憩時間みたいなぽっと空いた時間に、「美味しいね」と母と言い合いながら、何も考えずに石畳のその広場を歩いていた。
棒のような足に、時差ぼけや疲れで錆びついた様な体に、ジェラートの甘酸っぱさが染み入ってほかのことはあまり考えられなかった。
夕方の太陽が石畳をだんだんオレンジ色に染めていく様子は、
私がイメージしたままのヴェネツィアで、イメージってすごいなと変に感じ入っていた。
周りにはいくつか、高級そうなレストランがあって、
石畳大広間を歩いていても大きな窓越しに中の様子は良く見えた。
そこで、ふと目に入ったのは、
窓際の席に贅沢なスペースで大きなボックス席みたいな形でデザインされた席に
ひしめきあう10名ほどの優雅な人々だった。
自分たちを含め、歩き回ってクタクタの観光客ばかりを目にしていたからか、
そのヴェロア生地のボックスシートに集まった美しい人々の
品の良い華麗なサンドレスや見たことがないような光沢のあるウィークエンドシャツをタイトに着こなす男性が眩しかった。その光景はまるで映画だった。
目が離せなかったのは、そのほとんど白人のグループに一人だけ褐色の肌に黒のシルクでできたスパゲッティストラップの膝丈までのドレスを着た美しい女性が今にも身を乗り出しそうにして、体から何かをダイナミックに発散させようとする瞬間だったから。
初めは唸るような声で何か音を籠らせていた。
その瞬間に私は母にこう言った。
「あ、ティナ・ターナーだ」
それまで、ジェラートに夢中だった母は、すぐに窓に近づいて行った。
ゆっくりと、でも窓の外にまで届くビブラートで彼女は唄い続けた。
Happy birthday to you..
よく見ると、ティナの隣にはグレートギャツビーのパーティーシーンからそのまま抜け出してきたような優雅な若いご夫人が恍惚とした表情で聴き入っていた。彼女の美しい肩に両手を乗せている男性はきっと彼女の夫かパートナー、満足げな笑顔でティナ・ターナーと御夫人を交互に見つめていた。
そこにいる誰もがそのバースデイパーティーに集まった彼らのためだけに、その声音を響かせているティナ・ターナーの存在感にただうっとりとしていた。
その光景は美しいものだった。
Happy birthday to you..
隣にいる女性のために歌っているのに、
その場にいる人全員が今、外の広場で集まり始めた人々さえもが、この世で自分が本当に特別な存在に感じてしまうような声。
Happy birthday dear..
その優雅な集まりにはもちろん私は招待されてはいないんだけれど、
たまたまその場に居合わせたウェイター、ウェイトレス、隣のホールに座る客、
窓を挟んでジェラートを片手に立ち尽くす観光客のわたしたち、わたしたちが立ち尽くす石畳までもが、特別に愛されていて切ないほどだ、と全身で感じるような声。
大きな身振りで主役の女性をハグしながら歌い続けるティナはまるで孔雀みたいで、
その顔には、大スターという名前に相応しい笑顔がまるでこれから何百年と遺り続ける彫刻のようにあるのだけれど、彼女はその時、純粋さそのもので、役目を完璧に自分の垢を一切重ねずに表現する、天使のように見えた。
時代もちょっと違うし、正直、ほとんどみたこともきいたこともないティナ・ターナーを一眼で気づいた私自身にもびっくりしたけれど、きっとなんとなく時代的に素晴らしいことばかりだったわけではない、大スターが、こんな風に今、目の前で同じ時の中にいて、華麗とはまさに彼女のことっていうくらいの美しさ、ダイナミックとはまさにこれというほどの美声を表現しつつも、紛い物のない純真さで、きっと私が二度と出会うことのないタイプの人々の間で才能を空間に流すようにしていた。
私がどちらかというとよく常々感じてしまう疎外感というものが今まさに目の前に現れつつも、その瞬間のティナの完全さ、純粋さ、ゼロ、まさにインスピレーションを表現する存在としてその場にいることで、サラサラと私の切なさとか、寂しさとか、悲しさが消えていってしまった。
立場を超えた、差のない豊かさだけが、その場に広がる色だった。
POI
Irene