イタリアの思い出

かれこれ10年以上前のことです。私がホ・オポノポノを始めたばかりの頃、ひょんな成行で母とHISの格安パッケージツアーのイタリア行きを申し込んで、弾丸イタリア横断ツアーに行った時のこと。

ヴェネツィアのどこか真ん中に噴水があって、古い寺院の中央の中庭みたいなところ。

ジェラートを食べながら、おそらく休憩時間みたいなぽっと空いた時間に、「美味しいね」と母と言い合いながら、何も考えずに石畳のその広場を歩いていた。

棒のような足に、時差ぼけや疲れで錆びついた様な体に、ジェラートの甘酸っぱさが染み入ってほかのことはあまり考えられなかった。

夕方の太陽が石畳をだんだんオレンジ色に染めていく様子は、

私がイメージしたままのヴェネツィアで、イメージってすごいなと変に感じ入っていた。

周りにはいくつか、高級そうなレストランがあって、

石畳大広間を歩いていても大きな窓越しに中の様子は良く見えた。

そこで、ふと目に入ったのは、

窓際の席に贅沢なスペースで大きなボックス席みたいな形でデザインされた席に

ひしめきあう10名ほどの優雅な人々だった。

自分たちを含め、歩き回ってクタクタの観光客ばかりを目にしていたからか、

そのヴェロア生地のボックスシートに集まった美しい人々の

品の良い華麗なサンドレスや見たことがないような光沢のあるウィークエンドシャツをタイトに着こなす男性が眩しかった。その光景はまるで映画だった。

目が離せなかったのは、そのほとんど白人のグループに一人だけ褐色の肌に黒のシルクでできたスパゲッティストラップの膝丈までのドレスを着た美しい女性が今にも身を乗り出しそうにして、体から何かをダイナミックに発散させようとする瞬間だったから。

初めは唸るような声で何か音を籠らせていた。

その瞬間に私は母にこう言った。

「あ、ティナ・ターナーだ」

それまで、ジェラートに夢中だった母は、すぐに窓に近づいて行った。

ゆっくりと、でも窓の外にまで届くビブラートで彼女は唄い続けた。

Happy birthday to you..

よく見ると、ティナの隣にはグレートギャツビーのパーティーシーンからそのまま抜け出してきたような優雅な若いご夫人が恍惚とした表情で聴き入っていた。彼女の美しい肩に両手を乗せている男性はきっと彼女の夫かパートナー、満足げな笑顔でティナ・ターナーと御夫人を交互に見つめていた。

そこにいる誰もがそのバースデイパーティーに集まった彼らのためだけに、その声音を響かせているティナ・ターナーの存在感にただうっとりとしていた。

その光景は美しいものだった。

Happy birthday to you..

隣にいる女性のために歌っているのに、

その場にいる人全員が今、外の広場で集まり始めた人々さえもが、この世で自分が本当に特別な存在に感じてしまうような声。

Happy birthday dear..

その優雅な集まりにはもちろん私は招待されてはいないんだけれど、

たまたまその場に居合わせたウェイター、ウェイトレス、隣のホールに座る客、

窓を挟んでジェラートを片手に立ち尽くす観光客のわたしたち、わたしたちが立ち尽くす石畳までもが、特別に愛されていて切ないほどだ、と全身で感じるような声。

大きな身振りで主役の女性をハグしながら歌い続けるティナはまるで孔雀みたいで、

その顔には、大スターという名前に相応しい笑顔がまるでこれから何百年と遺り続ける彫刻のようにあるのだけれど、彼女はその時、純粋さそのもので、役目を完璧に自分の垢を一切重ねずに表現する、天使のように見えた。

時代もちょっと違うし、正直、ほとんどみたこともきいたこともないティナ・ターナーを一眼で気づいた私自身にもびっくりしたけれど、きっとなんとなく時代的に素晴らしいことばかりだったわけではない、大スターが、こんな風に今、目の前で同じ時の中にいて、華麗とはまさに彼女のことっていうくらいの美しさ、ダイナミックとはまさにこれというほどの美声を表現しつつも、紛い物のない純真さで、きっと私が二度と出会うことのないタイプの人々の間で才能を空間に流すようにしていた。

私がどちらかというとよく常々感じてしまう疎外感というものが今まさに目の前に現れつつも、その瞬間のティナの完全さ、純粋さ、ゼロ、まさにインスピレーションを表現する存在としてその場にいることで、サラサラと私の切なさとか、寂しさとか、悲しさが消えていってしまった。

立場を超えた、差のない豊かさだけが、その場に広がる色だった。

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Irene

最近の下田

それまで完全に凍っていた氷が、

いったん溶け出すと、

氷の表面で水の流れが止まらなくなるように、

それまでどんなに力を入れても、何も搾り出されない、枯れ果てたようなこころに、

ある瞬間から、ありがたさ、やさしさ、だいじょうぶというような気持ちが

さらさらと流れにのって感じるようになる。

それは、それを感じたいからといって、強制することができない、

神聖なる存在と自分のつながりの中だけで触れられる、

柔らかい瞬間。

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アイリーン

 

ママベア

 

アメリカで暮らすママたちはよく、誰かに対してちょっと攻撃的になったり、感情的になったりするときに、言い訳っぽく、”It’s the mama bear in me”(わたしの中のお母さん熊のせい)と言ったりしています。

 

お母さん熊が母性本能から、子供に危害が加えられそうになると、ガオーっと相手を威嚇するように、人間でも、子供に関わることになると、自然と感情的だったり、強く主張したり、批判的になったり、いつもの自分ではないことをしてしまうのよ、というような意味なんだと思います。

 

私自身も、子供を産んでから、もともと感情的ですがさらに怒りっぽかったり、すぐ泣いたり、批判してみたり、正当化しようとしたりするのが増えているのは、私の中にいるママベアが大きくなっているからなのかもしれません。でも、よくよく考えてみると、子供を産むよりもずっと前から、わたしにはママベアがいつもいたように感じます。ギリギリ保っている自信、大切にしているものや人、自分の気持ちが脅かされるときに、怒ったり、大騒ぎするのは、私の中のママベアがとにかく防衛しようとしていたからなのかもしれません。

これまで、何がなんだかわからないから、ママベアにそこらへんの感情の扱いを任せっぱなしにしてきたけれど、今は、私の中では、家族が営まれていて、母の仕事、こどもの仕事、お父さんの仕事がそれぞれあって、ママベアが立ち上がったときは、ママにしていてほしいことはただ一つ、クリーニングしてできるだけ安らいでいてほしいのです。

 

クリーニングすると決めたら、どうかこれまで頑張ってきたママベアーは、どうかゆっくりと安らいだ気持ちで、お茶でも飲んでいてほしい。クリーニングの結果に苛立ったり、批判したり、焦ったりせず、大丈夫よと言って、子ベアのために、誰よりも、平和を感じていてほしい。

いつでも怖い顔で、あらゆることに立ち向かってきたけれど、今はクリーニングしたら、楽しんだり、安らいだりしていてほしい。

 

昨日、娘を病院に連れていったとき、お医者様の対応に疑問が重なり、久々に私の中のママベアが仁王立ちで立ち向かう場面がありました。正義感と防衛、恐れと疑問に気づき、クリーニングするほうを選んだら、少し落ち着いて、ママベアは静かにどこかへ行ってしまいました。そして、きちんと病院の中でも対処することができました。

強い強いママベア。

でも、成功や達成のためではなくって、ただただこれまで吠え続けてきたママベアに安らいでいてもらいたい、そんな気持ちから、クリーニングをしている、昨日と今日です。

以下の動画は、私の実のママベアー、母から送られてきた動画です。

ママベアが安らいでリラックスしているとき、子熊たちは、こんなに純粋に、世界を楽しんでいます。

https://youtu.be/HoExa6Lfu0g

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アイリーン

周りが楽しそうなのに、楽しめず、空気がよめないその子を恥じて、

罵ったり、無理やり背中を押そうとしたり。

 

困ったことが起きたときに、その子が泣いているのに

犯人探しに血眼になっていたり。

 

孤独でさみしいと泣いているその子をその場に置き去りにして、

楽しい友達を探してくると立ち去ってしまったり。

 

それまで一緒に準備してきたアイディアを、

誰かに批判された途端、その子のことなんてもともと知らないし、

信用していないかのように、ばっと繋いでいた手を離して目をそらしたり。

 

お気に入りだった遊びがあるけど、他の人がそれをばかにしたから

何も言わずその子を置き去りにして他の人の輪に加わったり。

 

もしも、そんな自分に気づいたなら、

わたしはまたウニヒピリ、つまり自分自身のところに、

正直な気持ちで降りていくことができる。

 

突然良いお母さん風になるんじゃなくて、

今までの過ちに気づいて心機一転できるかどうかわからない約束を掲げる彼氏風になることもなく。

 

今いるところが、もしも海底二万マイルくらい暗くて意味不明のところなら、

不安で怖いその気持ちのまま、ただそこに戻れば良いし、

 

荒れ狂う波の中で揉みくちゃにされているなら、そのことに一緒にいればいい。

 

恥があるまま、恐れや怒り、絶望があるままに、

ひざをついて、目線を合わせて、苦しいけれど、

一緒にいたいという気持ちの本当さだけをもって

またウニヒピリに話しかけるところから始めることができる。

 

そうして、暗くて狭いから行きたくないと避けていた場所の中に、

安らぎやあたたかさを微かにでも見つけたら、

そのリズムで今日は思い、話し、聞いて、食べるようにしてみよう。

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Irene

 

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スピリチュアル

せっかくこれまで

クリーニングを実践してきたのに。

多少はスピリチュアルなことを勉強してきたと思っていて、他の人よりもちょっとは自分自身と話したりするのが得意かなとか思っていたのに、

気付いたら、自分自身がいつ爆発するかわからない時限爆弾みたいになっていた。

人のちょっとした言動、些細な結果、天気の変動でいつも爆発してしまう、制御不能の超ヤバイやつになっていた。

そんなことがさらにまた苦しくて、悔しくて、認めたくなくて、捨てちゃいたい。

でも、そんなときこそ、えいっていろんな期待を抱えたままで良いから、えいって自分自身を抱きしめるときなんだ。

だけど愛してるよー!

愛してるよー!

こんな危なっかしいところで今まで一人ぼっちにさせて本当にごめんね。

愛おしいよ、

愛してるよ、

そういって何度も何度も気付くたびに抱きしめていると、

いつのまにか、心が落ち着いて、景色に色がまたついて、呼吸が戻って、歩き出している。

しかも、ウニヒピリというかけがえのない存在と手を繋いでいる。

「クリーニングとかスピリチュアルなこととかをしてる自分」なんてものを感じたら、今こそクリーニングのチャンス。

わたしのいのちが心地よいのは、

枠のない、ゼロでピュアで、言葉が全く追いつかない自分。

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アイリーン

セルフ、本当の自分とか「わたし」と呼ばれるもの

本当の自分

と聞くと、

言えなかった本音とか隠していた趣味を明らかにするとかそんなふうに感じるけれど、

本当の自分って

ちいさなころ、

なにげなく自由に出入りしていた宇宙

ひとりぼっちで周りに誰もいなくても、

周りに人がたくさんいて自分のスペースがないような状態でも、何か大きくて自由な存在に守られていたあの感覚、

そんなもののような気がする

本音とか

隠された思いとか

そういうものは、クリーニングのきっかけにいつでもなってくれて、またはクリーニングを通して現れてくれて、その大きな宇宙のドアを再度開いてくれる鍵になるのだと思う。

ああ、またあの宇宙に全身力を抜いて何の気なしにバーンっとダイブしてみたいな。

先日スーパーに娘と買い物に行った時に、娘にお願いされて買ったチューリップです。「ママに選んでくれたの?」と聞くと、「わたしがわたしのために選んだの」とさっぱりと答えた娘。直後に「ご名答!」とわたしの中で叫ぶ声が聞こえました。

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アイリーン

マミーバイバイ

先日、4歳になったばかりの娘を、

私の母校である小学校で週末行われているこども水泳教室に連れて行った。

もともと赤ちゃんの頃から水遊びが好きな娘に、

4歳になったら、スクールに連れていくねと約束していた。

 

 

私が入学する直前に新校舎として建ったばかりだったため、

20年経った今もとても綺麗なままで、

屋内プールへ行くために地下に降りていくスロープのキュッキュとなる床や、

カルキの匂い、温室特有のもわっとした湿気と暖かさまでもが当時のまま。

 

 

私は小学生の頃、この階段を毎日登り降りしていた。

同居していた伯母は、引きこもり気味で、唯一の社会とのつながりが、当時住んでいたアパートの4軒先にある小学校の公民プール通いだった。

伯母に連れられ、私も毎日通うようになり、あまりにも毎日通っていたから、私の泳ぎはとても上達し、そこで上級生向けに行われていた水泳特訓に、コーチに特別に参加させてもらうようになった。しかし、期待されていることへの嬉しさよりも、人と競争することの恐ろしさに負けてしまい、私は小学校を卒業するよりも前に静かにフェイドアウトしてしまった。

それ以来、私は今も比較されることや競い合うことがとても苦手です。今でも泳ぐのは大好きだけれど、いつもその先に思い出す小学生時代の思い出がふと頭をかすめるたびに、プールの中でさえ体が小さく冷えていくような気持ちになった。

そんな思い出を懐かしむと同時に、当時のことを思い出し、心臓がばくばくするたびにクリーニングをした。娘は、マイペースだけれど、、新しい場所に馴染むのにいつも時間がかかるから、今日も本人の希望とはいえ、更衣室から続くプールへ向かう時、きっと止まっちゃうんだろうなとか、私のいつものお得意の事前判断作業は忙しかった。

しかし、更衣室で着替えた娘は、ちゃっちゃと周りのお姉さんたちに並んでゴーグルをつけ、我先にとプールに旅立っていった。準備できていなかった私を置いて、娘はスタスタと先生の後を追いかけて、

「マミーバイバイ」と行って視界から消えていった。

あっというまのことだった。でも、その一瞬が、私を今の私に戻してくれた。

私の中にまだまだある恥や心臓のばくばくなど、

それはそのままここにあるけれど、それを今クリーニングしていけば、

今がどんどん自分を必要な場所に連れてきてくれる、

目の前にいる大切な人が、私の記憶とは自由に動いて、選択して、成長していく。

私自身こそが自由になって、全く同じ場所に、全く違う目的で立っている。

クリーニングする選択もできれば、そのまま記憶の中にもいられる自由を与えられている。

清潔に整備された更衣室に、洋服をきたまま、裸足で娘を送り出し、足が濡れていないという状況に、なぜかとてもうきうきと新しいことが始まったこと、すべてちゃんとアレンジされているということ、とても懐かしいのに、新しい、私のいるべき場所にいるし、まだまだある記憶をクリーニングする時間はたっぷり残されているということ、今決めなくても、チャンスはたっぷり残っている。

そんなすべてにありがたさを感じずにはいられなかった。

怖い怖い競争は、私の中にある記憶だった。ウニヒピリのケアだけでよかったんだ。

 

 

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アイリーン

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とても久しぶりの投稿

学生の頃、あるカフェでアルバイトしていた時、とっても綺麗な女の子が働いていた。

真っ白で細くって、美しい。

女優さんになりたくて、夜もどこかで働いていた。

クールな性格であまり話さないから、たまに笑いかけてくれるだけで、

なんだか得したような気持ちになった。

言葉を交わしたことは数える程もないけれど、あるとき会話の中に犬が出てきて、彼女がその飼い犬を大好きなんだということが印象深く残っている。

こないだ東京で近所の坂道を子供を後ろに乗せて自転車で、こいで上がっていたときに、

ふとある女性が目に入った。

それはそのアルバイトで同じだった女性で小さなプードルを連れていて、隣には彼女のお母さんみたいな人もいて、ふと一瞬だけ目があった。

子供を後ろに乗せて、急坂道を上っていたので、止まることができず、ただ目があっただけなんだけれど、ただ目があって、お互い今ここにいるね、と優しい声になって聞こえてきそうな、またはそんな優しささえも小さな音になってさっ消えていくような、ただただまっすぐな透明な想いだけが残って広がった。何かとても大切なことをクリーニングできた、本当の自分に触れられた、そんな体験だった。

それはクリーニングしていくと、いろいろなことがゼロになって、そこには何も残らない結果そのもののように思えた。

この世界でわたしに必要なことが現れて、クリーニングして掃除していく。

いつもわたしのクリーニングの作業は荒々しくて感情に満ちていて、景色も音も激しいのだけれど、それがたまたま静かだったとき、そのクリーニングがその静けさにヒットしたとき、出会いや思いや体がすべて小さな粒粒になってただ光って散らばって消えていくような、清らかな体験をご褒美でもらったような気がする。

このブログを投稿するのが約一年ぶりです。書かない間も読みにきてくださった方、コメントを残してくださった方、本当にありがとうございます。

来週土曜日に渋谷で講演会をします。

作家の吉本ばななさん、そして母である平良ベティー「自分に嘘はつかない 粋な生き方」についてお話をします。

わたしが本当に困ってしまったとき、クリーニングしても、なかなか判断や感情の波から脱出できないとき、なにか自分違っちゃってるなと思うとき、会ってお話を聞きたい人たち、どんな状態であっても必ず真実だけを言葉にしてくれる女性2人に、当日はお話をたくさん伺います。

ぜひご参加ください。

  • 講演会テーマ「自分に嘘はつかない、粋な生き方
  • 日時 2019年8月10日(土)
  • 受付 17:00~
  • 開講 18:00~21:00(3時間)
  • 会場 セルリアンタワー東急ホテル

https://hooponopono-asia.org/www/jp/talk.html

これからも少しづつ投稿していきます。

クリーニングの機会に感謝しています。

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アイリーン

丸の内

二十代前半、就職先が決まったものの、なんだか不安定で、ただ刺激的な日々に追いつけ追い越せで、当時の恋愛もまるで自分に嘘をつかないとやってられないかんじで、愛する家族にそんなみすぼらしい自分を見せたくなくて、余計仕事を忙しく、夜はお酒を浴びるように飲むというような一時期がわたしにもありました。

就職先は飲食店企画経営の会社で、わたしはそこのPRの見習いだった。携わっていた企画が丸の内開発の新事業の内の一つだったこともあり、わたしは大学卒業間近の日々のほとんどを丸の内で過ごした。

日中、社長について店舗回りをしたことや、とある銀行の本店に出入りした日々は、なんだか遠い昔のようだけれども、スーツを着た人たちが、顔色を一切変えず、とても友好的な表情と口調で優しく、でもどんな人に会っても、名刺の上のわたしの名前を読むよりも先に、わたしが身につけている時計と靴を流れるような動作でチェックしていたこと、あの独特の乾いた空気はちっとも嫌ではなかったけれど、とても印象的だった。

日中出会うのは、ほぼドメスティックな会社の偉い方々で、反対に夜は、会社が企画するイベントで出会う、刺激的な経営者やデザイナーの方々だった。たまに丸の内族と呼ばれる人が来ると、ちょっと対応を変えたり、わたしなりに社長や先輩から学んで、色や匂いを嗅ぎ分けたピエロのように、エネルギーを全力投球したあの日々は、今こうして台北でのほほんとほぼビーサンしか履かないようなうだるような暑い空気の中での生活から思い出すとただただ貴重なものでしかない。

そして、同時に冷静に思い出す。当時のわたしの痛ましいほどの動揺。さっさとこんなところから抜け出して、おばあちゃんが作った大根が入ったカレーが食べたいし、母のわけのわからないセレクトの決して超清潔とは言い難い家でテレビが観たい。その職場で出会った彼に全くもって意思疎通とれていないのに、すごく彼を理解しているし、救えると傲慢にも思っていた日々。すばらしい社長が期待してくれている自分にミリ単位で違わない自分でいようと常に神経をいつのまにか研ぎ澄ましていた、幼いわたしを思い出す。

台北は普段なら五月頃から雨季が始まるのだけれど、今年は中々雨が降らなくて、昨日夕方近くスコールが降った。

そこで、また丸の内のある夜のことを思い出した。その夜、例の如く、イベントが終わってもなかなか興奮が冷めず、別のお店でお酒を飲んでいた。飲めば飲むほど酔っていき、悪酔いというやつですね。あらゆることが感情的にしか見えてこない。そして、ちょうど先週出会ったばかりのヒューレン博士のことを思い出す。自分を大切にしろだとか、内なる子供の声を聞けだとか。もうそうゆうのはどうでもよかった。母にも、そんなことよりも先にやっと余裕ができたなら、今までできなかった母娘っぽいいろんなこと一緒にして欲しかった。セミナーとか人生の問題とか、大人になっても昔の過去を苦しむとか、そんなのもう見ていられない。息ができない。それに比べたら、たくさんの大人たちが綺麗なスーツを着て、立派な名刺がたくさん集まるこの丸の内で、夜中に仲間とお酒を飲んでる方が、少しはマシに思えるのではないか、そんなことを頭で考えているうちに、元彼を含む仲間が次のお店に行こうと持ちかけた。もちろん、私も。このふらふらな私がまともだと思える場所以外に行く場所がないのだから、ついて行こうと、丸の内仲通りにタクシーを拾いに出たとき、また、ヒューレン博士と呼ばれるおじいさんのことを思い出した。

その人は私に、こんなことを言った。

You’re perfect.

二日酔いで、頭の中は、怒りとか不満しかないわたしに、「あなたはパーフェクトだよ」と言うその人の目は、まるで、木を静かに映し出しているように冷静だった。

何故だかタクシーに乗り込む手前で、その静かな目を思い出し、ポンと弾かれるように、ごめん、忘れ物したから帰ると言って、丸の内仲通りを当時毎日履いていたヒールの靴でカツカツ歩きだした。

ホ・オポノポノのことを考えていたわけじゃないけれど、痛い足とともに、ただこれまで 蓋をしてきた、不安な気持ちと一緒にただ歩いていた。

お酒を飲みすぎて、気持ち悪くて、ちょっとうずくまりたくなって綺麗なお店の陰に隠れたと同時に、大雨が降り始めた。

今はどうか知らないけれど、当時の仲通りは11時を過ぎたらほとんど人通りはなく、ほんとーに静か。

酔っ払って呆然と、ゴミひとつ落ちていない綺麗な道に、雨がはねつけられるところ見ながら、どんどん自分の感情と身体が別々になっていき、毎日足先がこんなに痛いのって悲しいなとか、夜中に酔っ払ってる娘を見たら両親は泣くな、いや、何故こんなに気持ち悪いのに先に親のことを考えてるんだ!とか、思いながら、覚えたての四つの言葉を酔っ払いリズムで唱えていたら、となりに若い綺麗なスーツ姿の男性が立っていて、「大丈夫ですか?タクシーこの辺捕まりますから」と言って自分の傘を私にくれ、本人は大雨の中、颯爽と歩いて消えて行った。

その人のいやらしさも裁きもないきれいな優しさはコップ一杯の美味しいお水のように、酔った私の意識を急激に冷ましてくれた。

その人のことと、その晩のきれいな雨の丸の内仲通りは、たまに私の今の生活の中で、ふと思い出されることがある。

台北での生活の中で、誰かにふと手を差し伸べたいとき、あらゆる記憶を出来るだけ削ぎ落としていたい、とあの晩の若き丸の内サラリーマンの彼を思うたびに思うし、あの晩、私がほんの少しだけでも、まずは自分を貴重なものとして扱った瞬間から、始まったあらゆる流れ、人も天気さえもが、とても印象的に心にふと現れることがある。

ありがとうございます。

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アイリーン

記憶翻訳

娘と一緒に乗り込んだエレベーターの中で、

優しそうなご婦人が、

娘に優しく声をかける。

 

 

「何歳?お名前は?」

 

 

娘は声の方に顔を向けて、

そのままちょっとおしりをふりふりさせて、

ご婦人の問いかけに答えになるようなことは何も言わず、

不思議な言葉を発したり、エレベーターのボタンをじっと見つめたりしている。

 

 

わたしは、すぐさま、誰に言うでもなく、

でもはっきりとエレベーターの中にいる皆に聞こえるように、

娘のほうを見て、

 

「 恥ずかしいんだねー 」

 

と言ったあとに、

娘の名前と年齢を慌ててご婦人に伝える。

 

 

ご婦人はもとのにこやかな顔で、エレベーターを降りて行く。

娘と二人きりになったエレベーターの中で、

変わらず、マイペースにその場にすっといる娘を見つめながら、私は気づく。

 

 

私はこういうことをして、何を一体失っているんだろう。

こういうこと、というのは、

まだそんなに言葉を喋らない娘と誰かとの間で起きるあれこれに対して、

とっさに私がやる翻訳の仕事だ。

 

 

「恥ずかしいんだねー」

「まだ眠いんだねー」

「お腹すいてるんだねー」

 

 

と、私に慌てて言わすのは、

私の記憶が操作する、娘翻訳機能。

この翻訳機能が作動する度、

私は自然な流れをとめ、

何か繊細で綺麗な何かを見失ってしまっているような気がする。

 

 

娘がまだ未熟な言葉を使って、

初めて出会う人とコミュニケーションを取れないことを決して恥じたことはない。

娘に興味を持ってくださる方には喜んで私も会話をしたい。

親として、娘が悪気があろうとなかろうと、他者を傷つけてしまうことを

防いだり、直したりするのは当たり前だと思っている。

 

 

でも、私が「だから」と思ってやってしまう、

そんな翻訳機能は、

本能的なものではなく、もっともっと、不自然で、個人的な私の記憶なのだとわかる。

 

 

なぜなら、ちくっと心が苦しくなるのは、

実際娘が何を思っているのかわからないことに対して、

慌てて取り繕おうとすることの奥にある、

私の記憶を感じているからだった。

 

 

誤解されたくない

(  何を? )

悪気はないんだってわかっていてもらいたい

(  なんの罪悪感?  )

短時間であろうとちゃんと丁寧でいたい

(  なぜそんなに完璧主義でいたいの?  )

 

 

 

記憶に気づいてクリーニングを始めると、

自分の中にある、果てしない孤独や恐れが見えてくる。

 

 

娘の行動言動の本当の意味は私にはわからない、

それと同じく、

私の中で一体どんなことが起きているのか本当にはわからない。

 

 

だから、クリーニングするしかない。

私は私の仕事をするしかないんだな、

とあきらめではなく、

粛々とした気持ちで改めて気づく。

 

 

私がまだ小さな子供だった時以来、

初めて、こんなに毎日毎日、朝から晩まで、

自分ではない誰かと一緒に時をともにしている。

 

 

その誰かを、私がウニヒピリをコントロールするようにはできず、

こんな時にはこう言うんだと強制できない相手だ。

それは私の2歳の娘で、

この人と一緒にいると、

私はどれだけ日常で、自分自身の内なるこどもの声をうまく操り、

蓋をして、ないことにしているのか

よおくわかってくる。

 

 

娘と過ごしたこの2年間

今までまるで暴力のようにして、

無視してきた、内なる声がどんどん蓋の隙間から響いてくるようになった。

 

 

聞こえてくるんだから、

クリーニングしよう。

私の記憶が今まで見せ続けた、不安定で信頼のできない世の中では

蓋することが当たり前になりすぎて、気づくこともなかった。

もっと、自然な流れがある、

そこにいられる自分が本来はいる。

 

 

まずは、せっかく気づいた、違和感、声、何かをクリーニングしよう。

すると記憶が私の前に現れる世界を翻訳するよりも早く、

もっと神聖で貴重な新しい真実が現れるようになることを、

もう私は気づき始めている。

 

 

POI
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