加島祥造さん

加島祥造さんが去年の12月25日にお亡くなりになりました。

詩人、アメリカ文学研究科、タオイストと、加島先生が遺した素晴らしい作品たちから、いろいろな名前を付けられるけれど、わたしにとって、敬愛するアーティストです。

先生の訃報を受け取ったとき、わたしはまだ台湾にいて、今は日本ですが、長距離バスの移動がまだタイミングではないため、お亡くなりになってから伺うことはできていませんが、今はもう会えない寂しさよりも、ギフトのように巡ってきた先生の出会いの中で与えられた数々の美しい出来事がこころの中で豊かに育っていく気配を感じています。

先生が暮らしていた長野の伊那谷に初めて伺ったのは、イハレアカラ・ヒューレン博士と一緒でした。ある方のご紹介で、ヒューレン博士に加島先生を紹介したい!という目的でした。印象的だったのは、ヒューレン博士はあの通り、誰にあっても自然と対峙するような、何も変わらない感じでただ加島先生と数時間一緒に、その素晴らしいご自宅、質素なんだけれど、要所に加島さんのアーティストウェイが散らばり、お庭ではいのちが開きたいように開き、在りたいようにただ在る、という様子を楽しんでいたのだと思います。

途中、加島先生が、すでに読んでいた、ヒューレン博士の本を老子の発想に置き換えて、潜在意識はこうで、ああで、この隠と陽がああで、とまるで少年のように、流暢な英語で博士に話す時間があったのですが、そんなときもヒューレン博士はただニコニコとクリーニングをしながら、返事になっているのかなっていないのかわからないような返事をたまにしているのですが、そのお二人の様子がほんとうに無邪気であったことが今でもこころの中で鮮明に思い出されます。

加島先生は少年のように、ただそこにいる人を、ありのままに興味深くながめ、何かあれば、ストレートに質問をし、『求めない』を読んだ高校時代から先生のファンであったわたしはそのとき付き人風を装って一緒に伺ったのですが、そんなわたしもその時間場所に自然と含んでくださってとてもとても嬉しかったです。「またいつでも遊びにいらっしゃい」と言ってくださいました。

長距離バスで帰ったのですが、帰り際、憧れの加島先生と会えて嬉しい気持ちをクリーニングしていたわたしにヒューレン博士がこう言いました。

「クリーニングして、縁がまだあると思うなら、また訪ねたらいいんじゃないかな?あくまでも、クリーニングをしにいくんだよ」

そうして、わたしは年に数回、伊那谷に訪ねるようになりました。新宿から高速バスで約4時間ほどなのですが、時間を見つけては、日帰り、またはお手伝いさんをお手伝いするという名目で、その素敵な山小屋に他のゲストと一緒に何度か泊まらせてもいただきました。

先生がまだ立って歩かれていたときは、一緒に伊那谷をお散歩に出かけたり、栗を拾ったり、東京からのお土産をお茶と一緒に美味しく食べたり、小山を超えておそばを食べに行ったり、わたしの何かを埋めてくれるような、ほんとうにきれいな時間をたくさん与えてもらいました。

あるとき、ご自宅の整理をお手伝いしていたとき、引き戸の中に先生が作った花瓶が見つかりました。埃をかぶっていたのですが、洗って茶の間に置いてみたら、

「これに生ける花を外から見つけておいで」とおっしゃいました。

生花なんて習ったことないし、いつも先生のご自宅には芸術家や作家さん、いろんなプロの方が出入りしていて、ちょうどその日も何かと来客が多い日で、いつの間にか少し萎縮していたわたしは、ええ〜、そんな大役、無理無理!と内心思って躊躇していると、そんなわたしに気づいたのか、先生に花切りバサミを手渡され、

「あなたが見つけてくれた花瓶に挿したい花を探してくれれば、それでいいんだよ」

と言い、わたしはお庭に出て行きました。先にも書いたように、整えられたガーデンではないのだけれど、加島先生のお庭は外の山と一体になるようで、でも、加島先生の暮らしを少し守りながら華やかさを与えるようにまるで、自然が意思を持って動いている、そんな不思議で絶妙なバランスで空間が成り立っているのです。

わたしは早速クリーニングしながら、先生のお家に入りたいですか?ハサミで切ってもいいですか?と話し掛けつつ、お花をいくつか選んで、「アイスブルー」と言って切っていきました。そのとき、とても頭はクリアな状態で、手がさらさらと動いていました。このくらいでいいかな?とやめようと思ったとき、ふと頭に「いやもっと華やかにしたほうがいい」と考えがよぎり、もう一本切ることにしました。

そこで、終わりにして、家に戻ろうと、振り返ると、縁側に先生が足をぶらぶらさせながら、こちらを見ていたのに気がつきました。

「その最後の一本はどうして採ったの?」

いつから見ていたのか、先生はそんなことを言いました。答えに困っていたわたしに先生は続けてこう言いました。

「人はすぐに意識に溺れちゃうんだね。あなたが生き生きと自然と関わるその流れを皆見ていたのに、意識がそれを壊しちゃうこともあるんだね」

お家に戻って、花瓶に採ったお花を生けてみると、やはり最後の一本が余る、というか、バランスではなかったのだと気付きました。わたしが最後に見えたエゴ、意識、つまり記憶をそこでただクリーニングするか、ただそこに溺れてしまうかでこんなに現実が変わるんだ、と些細なことではあるけれど、すごく実感する体験でした。

結局、最後の一本は花瓶には活けず、東京に持ち帰り、家の一輪挿しに入れて、当分の間、水切りをしながら、その体験をクリーニングしました。

交流が続く中、わたしにもいろいろな人生の転機が訪れ、台湾に行くことになったとき、そのご報告をしに行ったときのこと、先生のご自宅には手作りの茶室があり、その中で絵をお描きになったりもするのですが、その日は突然先生が思いつきで、お茶をしましょう!と茶室に案内してくれました。

「僕は流派が苦手なの。だから、全部自前だよ、バカにしちゃあいけないよ」と言いながら、手早くお茶をたて始めてくれました。わたしは正座しながら、先生がたててくれた抹茶を飲みながら、すごく心が落ち着いて、ああ、日本って最高〜、と満足していると先生がまたボソボソっとわたしに話しかけました。

「どこに行っても、新しい場所でも、お茶をたてればいいんだよ、ただお茶をたてつづけていればいいの。まずは一人でね。それでね、お茶をたてていたら、いつかちゃんと友達ができるんだよ。真の友達ができるんだよ。でも、まずはあなたが一人でお茶をたてなくちゃいけないの」

茶器もないし、無精なわたしが台湾でお茶なんて、と思いましたが、ふと、ああ、これは茶道のことをただ言っているのではないのだなとお茶をたてている先生の背中を見ながらこころにメッセージが落ちてきました。

ほんとうに一人になったとき、そこに愛を取り戻したとき、つまり内なる家族が一つになったとき、外側でほんとうの友人、家族と出会うことができる、わたしがホ・オポノポノで出会った真理を先生は生き、それを伝えようとしてくれているのだ、と気付きました。

台湾に行って、すさまじい勢いで慣れない生活を落ち着かせ、友達にも恵まれ、夫にも出会い、家族も作ったつもりになっていたけれど、どこかでいつも寂しくて、その寂しさを隠す度に、いつのまにかひねくれていた今のわたしが思い出すべきことは先生のたててくれたお茶です。東京にいようと、台湾にいようと、夢の旅先にいようと、お茶を一人でたてることをこれからはやっていきたいな。

最後に先生とお会いしたのは、ご自宅で倒れられたと聞いて、バスに飛び乗って向かった伊那谷の病院でした。先生が生涯愛したバリに、その頃わたしは生まれて初めて行って、とても綺麗な配色のバリの生地を先生にと買っていたので、それを持って行きました。先生は麻痺を起こしていて、お話することができませんでしたが、生地を見せると喜ばれて、病室のの掛け布団の上にかけてみました。そのときも、わたしのかけた位置が少し違っていたらしく、微妙に右にずらせと指示をうけ、右にずらすととても満足されたお顔を見せてくれました。美しいことを真に愛する人は、物や時間、場所のアイデンティティーの声を聞ける人なのだと思います。先生はまさしくそんな方でした。

先生から教わったこと、いただいた素晴らしい叡智がほんとうに無限にあります。わたしは、それを大事に自分の中で育てて、先生への想いをクリーニングし、感謝し、わたしを生きていきたいです。

数年前ですが、先生の未発表なまま、お家に散らばっていた絵を整理していて、これはホ・オポノポノのオフィスに来ていただいた方々も喜ぶのではないかというものをいくつか集めて、東京に持ち帰らせてもらい、展示していたことがあります。写真ですが、このブログを訪れていただいた方にも見てもらいたいので、添付します。(許可をいただいています)

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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アイリーン

 

加島祥造さん」への4件のフィードバック

  1. まきママ

    子育ていかがですか?
    私は先日1人 娘の小学校の卒業式でした。受験をしたのもクラスで数人、ノンビリした空間で 私達親子だけが 必死というか周囲から見れば滑稽に映っていたみたいです。
    第1希望に受かり 卒業式を迎え普通はめでたし めでたしと終わるところが その後 2週間近く もう少し学校生活楽しめばよかった とか娘に対して 勉強も小言もおおく 可哀想なことをしたなって親も一緒にメンタルが落ちてしまい、おおらかに接すればよかったと後悔 後悔 の日々で落ち込んでました。苦しい状況でした。
    クリーニングのことも夏以降は忘れてしまい ずっと触れずにいました。
    昨日 やっと「はじめてのウニヒピリ」を購入しました。ほとんど本は持ってるんですが これはクリーニングをやっていない自分の負い目?のようなものが あって 読めませんでした。でも 読んでクリーニング、 浮かんできた感情にクリーニング ずっとクリーニングをしていたら ふとした瞬間に「長い人生の中で 滑稽過ぎる位 一生懸命な時期があってもいいんじゃない?」と浮かんできました。
    アイリーンさんのブログも本の記事も揺れ動く気持ちの波のような部分に共感する部分も多いです。
    クリーニングしながら 受験生活のフォローをすればよかったって気持ちがよく浮かぶんですが これもクリーニングですよね。
    長々とすみません でもウニヒピリとクリーニングとこちらのブログのお陰で受け止めることができそうです。ありがとうごさいました。

    返信
    1. 平良アイリーン( Irene Taira ) 投稿作成者

      まきママさん

      以前、KRさんが、後悔はもともと記憶の倉庫にあったものだと言っていました。
      その記憶をクリーニングすることで、わたしと対象のほんとうに求めることがおきる。
      それがインスピレーションなんだと。
      後悔を今体験することで、今クリーニングして、まきママさん、そして娘さんが本当の自分をのびのび生きる!
      そんな開けたものを感じます。
      素敵なお母さんをもって幸せですね。
      新しい中学校生活が素晴らしい日々でありますように。

      POI
      I

      返信
  2. トトロ昆布

    アイリーンちゃんプログでお久しぶりです。

    最近プログにコメントを書く事をやめて
    そのプログ内容から感じる事をずっとクリーニングしてたら

    ふとTVで台湾のニュースや映像が流れたりする事が増えたりして
    それをまたクリーニングしてました。

    今回のプログ内容もクリーニングしたんだけど

    お茶の部分が気になったんだよね

    自分もホ・オポノポノを始める前って
    どうしても信頼をおける友人って中々出来なくて
    友人は沢山出来るだけど

    この人友人多いからって
    ちょっと性格に問題ある人が私に寄生してきて
    トラブルや皆が悲しむ事ばかりが起きて
    沢山の人とたしかに仲良くなれるけど
    でも

    皆最後は自分を都合の良い存在でしか扱ってくれない
    っていうような事の繰り返しだったんだよね

    もちろんそれは、
    ウニヒピリが見せてくれていた記憶で
    自分がウニヒピリをそう扱ってきたからなんだけどね

    でもホ・オポノポノを初めて
    ウニヒピリがこれを読んでほしいとか
    これが合っているという本やジャンルを
    自分に薦めてくれてたんだけど

    それが本当に哲学・論語・現代医学とか
    本当に頭の良い人しかわからないような本だったんだ

    でもそれを読んで
    熟読したというわけではないんだけど
    難しすぎて理解出来ない部分が多すぎて

    でも

    そのような本から得て
    ほとんど独学で死にもの狂いで内容を
    受け止めて

    自分の中で
    どうにかして自分の表現でいいから
    表す事が出来るようなスキルを
    磨いていったんだよね

    サポートはウニヒピリ
    周りに誰も教えてもらえる師匠はいないから
    難しい事を自分なりに独学で解釈をしてきたんだ

    それが結局いろいろな困っている人達を
    助けるような事に今は繋がったんだ

    人が困っている事を助けられる
    そんな自分になれたんだよね

    まさか、自分に会いたい人や
    自分がいて幸せを感じてくれる人が
    沢山現れるとは昔の自分では考えられなかったからさ

    お茶の話を読んだ時も

    例えばお茶も

    あまりにも薄いお茶を出せばいいわけじゃない
    相手に出すお茶を入れる器だって選ばなければいけない
    お茶をたてる技術が必要

    相手に美味しいって思ってもらえるまでの事を
    出来るのなら

    そこには信頼関係のある友人がきっと出来るよ

    って意味なのかなって思ったんだ

    たしかにホ・オポノポノの事でもあるんだけど

    ホ・オポノポノをやっていても
    自分にふさわしいものが
    縁としてインスピレーションが流れてくる

    それを受け止めない・やらないの選択肢も
    クリーニングしなければ生まれてしまう

    でも

    そこから自分がスキルをつけて
    お茶をたてるにはどうしてらいいか

    そしてお茶を一人でたれられるって
    お茶だけをたてられるだけじゃなくて

    ウニヒピリが導いてくれた事をこなしていくと
    きっといろいろな違う事にも配慮出来るようになったり
    困った人達の心を満たしたり出来るようになる
    きっとその間に集まってくる友人は
    あなたを幸せにしてくれる人達

    だから最初はお茶じゃなくても
    一つでもいいから
    一人で得意な事を出来るようになって
    胸張って相手に提供で来たら

    きっとそれはあなたを幸せにしてくれる事だよ
    そんなあなたの周りに現れる人達は
    あなたを幸せにしてくれるからね

    って事が感じられたんだよ

    お茶を一人でたてられるようになるってのは

    人間でいう自立みたいなものだよね

    きっと

    お茶はいろいろな事に例えられる事だと思うけど

    素晴らしい言葉がアイリーンちゃんの心に刻まれていて
    本当に良かったね

    もし人間関係に悩む事があるとするならば

    きっとまだお茶を自分でたてられていないのかもね

    本当に信頼出来る人達が周りにいて
    あなたを信頼してくれるってきっと不安はないよ

    愛しかない

    その為に

    なんでもいいから
    一つでもいいから

    何かを自分で出来るようになっていけば
    自然に人は
    きっとあなたに親切なんだよ

    って事だよね。きっと。

    文章めちゃくちゃで読みにくいかもだけど

    今後プログもコメントしないで
    クリーニングだけするかもだけど

    これからもよろしくね。

    返信
    1. 平良アイリーン( Irene Taira ) 投稿作成者

      トトロ昆布さん
      あたたかいメッセージをありがとうございます。
      まだまだお茶たてられていません。
      まずはわたしとウニヒピリのつながりを大切にするところから始めます(^_^)

      いつもここに訪れてくれて、ありがとうございます。

      POI
      I

      返信

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